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歌詞&翻訳
We met as soul mates on Parris Island
俺たちはパリスアイランドで戦友として出会い
We left as inmates from an asylum
そして精神病院で囚人のようになってそこを出た
And we were sharp, as sharp as knives
俺たちは鋭かった 刃物のように鋭かった
And we were so gung ho to lay down our lives
命を投げ出すことに異様に昂ぶっていた
We came in spastic like tameless horses
俺たちは暴れ馬のように無軌道に突っ込んで
We left in plastic as numbered corpses
番号を振られた死体として袋に詰められて帰った
And we learned fast to travel light
すぐに身軽に動く術を覚えた
Our arms were heavy but our bellies were tight
銃は重かったが、腹は引き締まっていた
We had no home front, we had no soft soap
俺たちには支えてくれる本国の支援もなければ、慰めの言葉もなかった
They sent us Playboy, they gave us Bob Hope
送られてきたのはプレイボーイ誌 慰問はボブ・ホープ
We dug in deep and shot on sight
塹壕を掘って、敵を見つけ次第撃ち
And prayed to Jesus Christ with all of our might
イエス・キリストに全力で祈った
We had no cameras to shoot the landscape
景色を撮るカメラなんて持っていなかった
We passed the hash pipe and played our Doors tapes
ハシシのパイプを回し、ドアーズのテープをかけて
And it was dark, so dark at night
夜は暗く、暗闇は深かった
And we held on to each other like brother to brother
兄弟のように互いを支え合い
We promised our mothers we’d write
母親に手紙を書くと約束した
And we would all go down together
そして俺たちは皆一緒に倒れていくんだ
We said we’d all go down together
俺たちは皆一緒に倒れると誓ったんだ
Yes, we would all go down together
そう、俺たちは皆一緒に倒れていくんだ
Remember Charlie, remember Baker
チャーリーを忘れるな ベイカーを忘れるな
They left their childhood on every acre
彼らは青春時代を1エーカーごとに置き去りにしていった
And who was wrong? And who was right?
誰が悪く、誰が正しかったのか?
It didn’t matter in the thick of the fight
激戦のさなかでは関係なかった
We held the day in the palm of our hands
俺たちは昼を手のひらに握りしめ
They ruled the night, and the night
彼らは夜を支配した その夜は
Seemed to last as long as six weeks
六週間もの長さに感じられた
On Parris Island
パリスアイランドで
We held the coastline, they held the highlands
俺たちは海岸線を守り、彼らは高地を押さえ
And they were sharp, as sharp as knives
彼らも鋭かった 刃物のように鋭かった
They heard the hum of our motors, they counted the rotors
俺たちのエンジンの唸りを聞き、ローターの数を数え
And waited for us to arrive
俺たちが到着するのを待ち構えていた
And we would all go down together
そして俺たちは皆一緒に倒れていくんだ
We said we’d all go down together
俺たちは皆一緒に倒れると誓ったんだ
Yes, we would all go down together
そう、俺たちは皆一緒に倒れていくんだ
曲情報
「Goodnight Saigon」(グッドナイト・サイゴン)は、ビリー・ジョエルが作詞・作曲した楽曲で、1982年のアルバム『The Nylon Curtain』に収録されている。ベトナム戦争を題材としており、アメリカ海兵隊員がパリスアイランドでの訓練を経て戦闘へと進んでいく状況と心情を描いている。
歌詞と音楽
歌詞は戦闘中の海兵隊員が恐怖と向き合いながら生き延びようとし、仲間との絆を深める様子を描写している。語り手は「I(私)」ではなく「We(俺たち)」を用いており、全員が同じ状況を共にしていることを強調している。ブリッジでは闇とその中で募る恐怖が歌われ、その後に全員で「俺たちは一緒に沈んでいく」と歌うリフレインが続き、仲間意識を際立たせている。
曲中では『Playboy』を読む、ボブ・ホープを観る、ドアーズを聴く、ハシシュパイプを吸う、イエスに祈る、「チャーリー」と「ベイカー」(軍隊での中隊名)を思い出すなど、戦場での生活の断片が描かれる。そして「子供時代をあらゆる土地に置いてきた」と記され、多くの仲間が戦いで命を落としたことを示唆している。ジョエルは「戦争についてコメントするのではなく、兵士を人間として描きたかった」と語っている。『Rolling Stone』誌のスティーヴン・ホールデンは、この「We」が曲の展開とともに東南アジアで戦ったすべてのアメリカ兵を象徴するようになると述べた。
曲はコオロギの鳴き声から始まり、夜を思わせる雰囲気を演出する。その音は夜の風鈴の音へと変わり、さらにヘリコプターの音が続いて戦場の情景を想起させる。ジョエルのピアノ演奏が加わり、歌が始まる。終盤は冒頭と逆の順序で、ピアノの旋律、ヘリコプター、風鈴、コオロギの音で幕を閉じる。
ジョエルは「時間は傷を癒したり、かさぶたになっているか確かめられるようにする。ベトナムから兵士が帰ってきて、それで終わりなのか? 彼らが社会に受け入れられ、私たちが気持ちに向き合うまで終わらない」と語っている。
評価
『Billboard』は「容赦なく陰鬱」であり、「スタイルは抑制されつつも強烈で、クルト・ヴァイルの影響が強い」と評した。『Cash Box』は「ポップソングの枠内でベトナム戦争について意味のある表現に成功している」と称賛した。ホールデンは「ベトナム戦争への究極のポップ音楽的エピタフ」とし、19歳の兵士の感情を捉えるジョエルの歌声を高く評価した。一方、『Rolling Stone』誌のデイヴ・マーシュは、曲が立場を取らないことを「猥褻に近い」と批判した。『AllMusic』のスティーヴン・トマス・アールワインは、本作を『The Nylon Curtain』A面の組曲の一部とし、「成熟した聴衆に向けた洗練されたポップ/ロックに迫る作品」と位置づけた。ミュージシャンのガース・ブルックスは本曲をジョエル作品で最も好きな曲と述べ、プロデューサーのフィル・ラモーンも「多くの人々、特に音楽家に共鳴する象徴性を持つ」と語っている。
その他の登場
「Goodnight Saigon」はジョエルのコンサートで定番として演奏され、ライブ盤『Kontsert』『12 Gardens Live』『Live at Shea Stadium: The Concert』『My Lives』にも収録されている。また、『Greatest Hits』『Souvenir: The Ultimate Collection』『The Essential Billy Joel』『Piano Man: The Very Best of Billy Joel』などのベストアルバムにも収録された。
2009年5月16日の『サタデー・ナイト・ライブ』では、ウィル・フェレルが短縮版を歌い、グリーン・デイ、ノーム・マクドナルド、マヤ・ルドルフ、エイミー・ポーラー、トム・ハンクス、ポール・ラッド、アーティ・ラング、アン・ハサウェイらがバックで出演した。
舞台『Movin’ Out』では、登場人物の一人がベトナムでの戦闘体験の悪夢を見るシーンで使用された。
アラン・カミングはアルバム『Alan Cumming Sings Sappy Songs: Live at the Cafe Carlyle』で本曲を祖父トミー・ダーリングに捧げて歌った。
2013年のケネディ・センター名誉賞では、ガース・ブルックスがジョエルとオバマ夫妻のために歌い、ベトナム戦争に従軍した年齢層の男女で構成された合唱団が最終コーラスに加わった。
歌詞の意味
ボブ・ホープとは?
ボブ・ホープ(Bob Hope, 1903–2003)は、20世紀アメリカを代表するコメディアンであり俳優、エンターテイナー。映画やラジオ、テレビで活躍しただけでなく、特に有名なのが USO(米軍慰問団)のショーだった。
彼は第二次世界大戦からベトナム戦争まで、前線にいる兵士たちを慰問してステージやコメディを披露し続け、「兵士たちの友」と呼ばれた。