動画
曲情報
「Charmless Man」(チャームレス・マン)は、イングランドのロック・バンド、ブラーの楽曲であり、4作目のスタジオ・アルバム『The Great Escape』(1995年)の4曲目に収録されている。スティーヴン・ストリートによってプロデュースされ、フード・レコードとパーロフォンから1996年4月29日にイギリスでアルバムからの4枚目かつ最後のシングルとして発売された。全英シングルチャートで5位を記録し、オーストラリア、フランス、アイスランド、アイルランドのチャートにもランクインした。付随するミュージック・ビデオはジェイミー・スリーヴスが監督を務め、ジャン=マルク・バールが出演している。
イギリスでのB面曲「The Horrors」「A Song」「St. Louis」は、「Stereotypes」のシングルで最初に示されたブラーの劇的な作風の変化を引き継ぎ、 starkかつ生々しいサウンドとなっており、後のセルフタイトル作『Blur』で本格化するスタイルの転換を予感させる内容となっている。
背景
この楽曲の着想は、デーモン・アルバーンがリンカンシャーに住む祖母を訪ねた際に得られた。彼はグランサム駅に立ち寄り、駅の男性用トイレで曲名に通じる落書きを目にしたことがきっかけとなった。
評価
イギリスの音楽誌『Music Week』はこの曲に5点満点を与え、シングル・オブ・ザ・ウィークに選出し「『The Great Escape』からの4枚目にして最後のシングルはおそらく同作で最も優れた曲だ。ブラーがチャートバンドとして確かな地位を取り戻すことになるだろう」と評した。『Music & Media』は「全くの愚かしさ」と表現し、『Smash Hits』は5点中4点を与えて「誰からも好かれない男の物語。素晴らしく、即座に口ずさめる曲」と述べた。また、モリッシーも当時のインタビューでこの曲を好んでいると語っている。
ミュージック・ビデオ
「Charmless Man」のミュージック・ビデオは、イギリスの映画監督・脚本家ジェイミー・スリーヴスによって制作された。ビデオは、右手に即席の包帯を巻いた男(ジャン=マルク・バール演じる)が暗い通りを走る場面から始まり、カットの合間に音楽ホールで演奏するブラーの姿が映し出される。ピアノを伴うヴァース部分の後、バンドは男のアパートの浴室で演奏し、男は電動歯ブラシを使い、赤ワインをマウスウォッシュ代わりにする。身支度を終えた男が外に出ると、廊下やエレベーター、ホールなど至るところでバンドが現れ、苛立った男はアルバーンを突き飛ばしたり蹴ったりする。さらに車に乗り込んで逃れようとするが、道端や車道に立つバンドの姿が繰り返し現れる。遂には彼らを車で轢き倒した後、怒りのあまり自分の車の窓を素手で叩き割ってしまう。最後には再び暗い通りを手を負傷した状態で走る場面に戻り、彼の運命が変わらぬことを暗示する。ラストではアルバーンの顔がクローズアップされ、軽蔑的な笑みを浮かべながら曲が終わる。
歌詞の意味
この曲は表面的な教養や特権意識だけを取り繕う男性像を冷淡かつ皮肉を込めて描いた内容になっている。語り手が出会うのは、裕福な教育と家柄を背景に持ちながら、その魅力がまったく人に伝わらない人物であり、彼は周囲に受け入れられていると信じ込んでいるものの、実際には誰からも本心では相手にされていない。
彼は特権階層の世界を歩き回り、知識や人脈をひけらかし、どこにでも入れると豪語するが、その態度は虚勢に近く、むしろ痛々しさが際立つ。友人たちも互いに表面上だけの関係で、彼自身も同じようにふるまうため、空虚さが強調されている。
語り手は、彼の冗舌さや必死の自己アピールにうんざりし、やがて距離を置くようになる。外側だけを飾り、内面的な魅力を欠いた人物像が、繰り返し示される軽薄なフレーズとともに強調され、タイトルに示される通りの人物像へと収束していく。
全体として、階級的な虚勢、社交界の空虚、そして内面の欠如を揶揄する風刺的なポートレートが描かれている。
クラレットとボジョレーとは?
クラレットはイギリスで伝統的に呼ばれるボルドーの赤ワインで(フランスでは普通にボルドーと呼ぶ)、濃厚で格式ある赤ワインを指し、上流階級的な趣味や教養の象徴として出てくる。ボジョレーはフランス・ブルゴーニュ地方の南部にある産地の名前で、ガメイ種というぶどうで造られる軽やかな赤ワインのこと。
Ronnie Kray(ロニー・クレイ)とは?
ロニー・クレイ(Ronnie Kray, 1933–1995)は、双子の弟レジーと共に「クレイ兄弟」として知られるロンドンのギャング。1950〜60年代にイーストエンドで犯罪組織を率い、恐喝・強請・殺人などに関与。表の顔ではナイトクラブ経営やセレブとの交際で知られ、メディアでも注目された。1960年代後半に逮捕・終身刑となり、精神病院で服役中に死去した。


