【曲解説】Prince – Purple Rain

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Prince(プリンス)による楽曲「Purple Rain(パープル・レイン)」は、彼のバックバンドであるThe Revolution(ザ・レヴォリューション)との共作である。1984年に発表された同名アルバム『Purple Rain』のタイトル曲であり、このアルバムは同年に公開された映画『Purple Rain』のサウンドトラックでもある。シングルとしては、アルバムからの3枚目としてリリースされた。

「Purple Rain」は全米ビルボード・ホット100で2週連続2位を記録し、Wham!の「Wake Me Up Before You Go-Go」によって首位を阻まれた。一方で、US Cash Box Top 100では2週間にわたり1位を記録した。アメリカレコード協会(RIAA)からはゴールド認定を受けており、プリンスを代表する楽曲のひとつとされている。2016年にプリンスが死去した後、この曲は再びビルボード・ホット100にランクインし、4位まで上昇した。イギリスではUKシングルチャートで6位を記録し、オリジナルの最高位より2つ上昇した。フランスでは、もともとの最高位が12位だったが、プリンスの死の1週間後に1位を獲得した。

「Purple Rain」は、ローリング・ストーン誌が2021年に発表した「史上最も偉大な500曲」の第18位にランクインしており、ロックの殿堂が選出した「ロックンロールを形作った500曲」にも含まれている。2007年の第41回スーパーボウルのハーフタイムショーにおけるプリンスのパフォーマンスでは、「Purple Rain」が最後の曲として披露された。ステージとスタジアムが紫色の照明で彩られる中、実際に雨が降るという劇的な演出となり、この出来事は特に注目された。このハーフタイムショーは、史上最高のスーパーボウル・パフォーマンスのひとつとしてたびたび挙げられている。2004年のグラミー賞授賞式では、ビヨンセとのメドレーのオープニングとしてこの曲が披露された。また、2016年4月14日に行われたプリンス最後のコンサートでも、ラストソングとして演奏された。

作曲

起源

「Purple Rain」は当初、カントリーソングとして書かれ、スティーヴィー・ニックスとのコラボレーションを想定していた。ニックスによれば、プリンスから10分間のインストゥルメンタルバージョンを受け取り、歌詞の作成を依頼されたが、あまりのスケールに圧倒されて断ったという。彼女は「聴いてみたら怖くなったの。電話して『無理だわ、やりたいけど大きすぎる』って伝えた」と語っている。

その後、リハーサル中にプリンスはバンドに向かって「帰る前にちょっと試したいものがある。穏やかな曲だよ」と言ってこの曲を披露した。キーボードのリサ・コールマンによれば、ギタリストのウェンディ・メルヴォワンが伴奏としてコードを弾き始めると、プリンスは新しいアレンジに興奮し、曲がカントリー色から離れていったという。「みんなで少しずつ力を込めて演奏するようになって、6時間ぶっ続けで弾き続けた。終わる頃にはほぼ完成していた」と彼女は述べている。

プリンスによる意味の説明

プリンスはこの曲の意味について「空に血が流れるとき……赤と青で紫になる。Purple Rainは世界の終わりと、愛する人とともにその中を信仰や神に導かれて進むことを意味する」と語っている。前作アルバム『1999』のタイトル曲でも、紫の空の下での終末を示唆する表現が含まれていた(「まるで最後の日のようだった、空は紫に染まっていた……」)。曲名の由来は、アメリカというバンドが1972年に発表した「Ventura Highway」の歌詞にある。

曲構成

「Purple Rain」は変ロ長調(B♭メジャー)で書かれている。映画の中では、それぞれのヴァースがプリンスのキャラクターが抱える人間関係の葛藤と和解への願望を反映している。劇中でこの曲は元恋人デニース・マシューズ(ヴァニティ)ではなく、父親に捧げられている。プリンスの歌声は、低音のB♭2から高音のC♯6までの音域をカバーしている。

背景とレコーディング

この曲は1983年8月3日、ミネアポリスのファースト・アベニュー・ナイトクラブで行われたミネソタ・ダンス・シアターのためのチャリティ・コンサート中に録音された。この公演は、当時19歳だったギタリストのウェンディ・メルヴォワンにとって、The Revolutionのメンバーとしてのライブ初出演だった。City Pages誌はこの70分間のステージを「プリンスの地元での最も情熱的かつソウルフルなコンサート」と表現しており、ドラマーのボビーZも「僕らの中でも最高のコンサートのひとつだった」と述べている。

コンサートは、ニューヨークのレコード・プラントから持ち込まれた移動録音機材を用い、デヴィッド・リヴキン(ボビーZの兄で、David Zとしても知られる)によって録音された。エンジニアのデイヴ・ヒューイットとコスター・マカリスターがスタッフとして加わった。デヴィッドの兄クリフ・リフキンはワーナーのミネアポリス地区でのプロモーション責任者で、プリンスの契約成立にも関与していた。弟のボビーZは後にThe Revolutionのドラマーとなった。

デヴィッドZはこの録音の依頼について「プリンスのことだから何があるかわからなかった。コンサートの録音だとは思ったけど、それがレコードになるかどうかは不明だった。映画の制作も進んでいたし、とにかく何が起こっても対応できるように準備しておくしかなかった」と述べている。このとき録音された楽曲のうち、「Purple Rain」「I Would Die 4 U」「Baby I’m a Star」の3曲がサウンドトラックに採用された。

プリンスは1983年8月から9月にかけてロサンゼルスのサンセット・サウンド・スタジオでオーバーダブ作業を行った。オリジナル録音からソロパートと1つのヴァースが編集で削除され、楽曲の長さは11分から8分に短縮された。削除されたヴァースは金銭に関する内容であり、感情的なインパクトを損なうためカットされたという。

録音後、プリンスはジャーニーのジョナサン・ケインに電話し、楽曲が「Faithfully」と似ていないかを確認した。ケインはコード進行が同じ4つであることを認めつつも、曲は異なると伝えた。リサ・コールマンはストリングスのアレンジを担当し、彼女の兄と友人によって演奏されたパートがロサンゼルスのスタジオでオーバーダブされた。

歌詞の意味

これは、深い喪失感と愛情の混ざり合った複雑な感情を語るバラードで、主人公が大切な相手との関係の終わりを受け入れながらも、心の底では相手の幸せと未来を願っているという内容になっている。

冒頭では、相手に悲しみや苦しみを与えるつもりはまったくなかったこと、そしてほんの一瞬でも相手が笑顔でいてくれることを望んでいたことが語られる。
続く部分では“恋人未満の関係性”の難しさが描かれ、友情と愛情の境界で揺れ動く主人公の複雑な想いが浮かび上がる。
相手を奪うような存在になりたいわけではないが、それでも関係が終わってしまうことへの寂しさが強く滲む。

後半では、変化の時期が訪れていることを認めながら、相手が迷いを抱えているなら、その導きになろうとする姿勢が示される。
象徴的に使われる色彩は、再生、浄化、別れ、希望などが一体化した“感情の雨”のようなイメージとして機能し、主人公が最終的に相手の未来を祝福しようとする心の変化を象徴している。

全体を通して、別れの痛みと優しさが同時に存在する、非常に繊細で情緒的な楽曲となっている。

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