動画

Brand New Day
Sting
- Tomorrow We’ll See
- Prelude To The End Of The Game
- Fill Her Up
- Ghost Story
- Brand New Day
曲情報
「Perfect Love… Gone Wrong」(パーフェクト・ラヴ・ゴーン・ロング)は、イギリスのミュージシャン、スティングの楽曲。この曲は6枚目のソロ・スタジオ・アルバム『ブラン・ニュー・デイ』に収録され、1999年9月27日にA&Mレコードからリリースされた。アルバムはビルボード200で最高9位を記録し、米国で350万枚以上を売り上げた。発売後、『ブラン・ニュー・デイ』は批評的にも商業的にも成功し、このアルバムにより、スティングは最優秀ポップ・ボーカル・アルバムと最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンスのグラミー賞を受賞した。
歌詞の意味
この曲は語り手である犬が飼い主の女性に新しい恋人ができたことへの嫉妬と喪失感を擬人的かつ皮肉な語り口で述べる構成になっている。犬は自分をパートナー同然だと思っていたが、突然現れた“アルファ雄”に居場所を奪われ、かつての親密さが崩れたと感じている。犬の比喩は徹底して用いられ、しっぽを振らない、縄張り意識、吠える、バスケットを移動されるといった描写が、嫉妬や孤独の感情を軽妙な形で表現する核となっている。
フランス語で語られる女性側の独白は、犬に対する愛情が変わったわけではなく、パートナーとして必要なのは犬ではなく“人間”であると冷静に説明し、関係が三者のものへと変わった現実を示す。犬が理解できないまま感情を募らせていく様子と、女性が状況を整理しようとする姿勢が対照的に描かれ、物語のコントラストを生む。
犬は新しい恋人を敵視しつつも、飼い主への忠誠や愛情を手放せず、完璧だった関係が崩れたという認識に苦しみ続ける。終盤では、その“完璧な愛”が壊れたことの痛みが繰り返され、滑稽さと切実さが同居する語りが締めくくられる。全体として、擬人化された犬の視点を利用し、嫉妬、依存、関係の変化などをユーモラスだが哀切なトーンで描いた作品になっている。
for one good reason の意味
これは日本版CD付属の和訳では「僕はひとつの理由のためにしっぽをふったりしない / それは犯罪だ」となっているが、これは誤訳である可能性が高い。この訳だと「たった一つの理由に釣られて尻尾をふったりするもんか」という意味になってしまう。
しかし、“for one good reason” は、「確かな理由があるから、僕は~しない」という因果関係を示しており、文脈を踏まえると、主人公(犬)は 「僕は君の一番だったのに、新しい男が現れたのは許せない。僕には確かな理由があるから彼に尻尾はふらない。それはまるで犯罪のようだ」ということである。
後に出てくる歌詞が “one good reason” とつながっている。「確かな理由」とは彼が悪い男だとわかってるから。
「alpha male(アルファ・メイル)」と関連用語の比較表
| 用語 | 特徴 | 主なイメージ |
|---|
| アルファ・メイル(Alpha Male) | 群れのリーダー的存在。自信があり、支配的でカリスマ性がある。 | リーダー、成功者、支配者 |
| ベータ・メイル(Beta Male) | アルファの補佐的な存在。協調性があり、従順で温和な性格。 | 参謀、サポーター、親しみやすい人 |
| シグマ・メイル(Sigma Male) | 群れに属さず単独行動するが、アルファと同等の力を持つ。神秘的で独立心が強い。 | 孤高の成功者、ミステリアスなカリスマ |
| ガンマ・メイル(Gamma Male) | 知的で創造的だが、社会的地位は高くないことが多い。野心があるが、認められにくい。 | クリエイター、アウトサイダー |
| デルタ・メイル(Delta Male) | 一般的な社会人タイプ。野心は控えめで、現実的な生活を重視する。 | 平凡な会社員、堅実な人 |
| オメガ・メイル(Omega Male) | 社会的ヒエラルキーの最下層。孤立しがちで、対人関係に難がある。 | 孤独なオタク、非社交的な人 |
that puppy(あの子犬)とは?
ここでは主人公(犬)が新しい男を指して「あの子犬」と皮肉っている。また “go astray” は「迷子になる」という意味もあるが、ここでは「道を踏み外す」「堕落する」「間違った方向へ進む」という比喩的な意味と解釈するのが自然である。
Devil take the hindmost の意味
直訳すると「悪魔は最後尾を奪う」という意味の諺で、他人のことを顧みず、自分の利益を最優先にする利己的な考え方を表している。
もともとは競争や戦いの場面で、遅れた者が犠牲になるという考えから生まれた表現で、「弱者や落伍者には容赦しない」「自分さえ助かればいい」という冷酷な態度を示す際に使われることが多い。
現代では、競争社会や経済、政治の文脈でも用いられ、他者を気にせず自分の成功だけを追求する姿勢を批判的に述べる際にも使われる。

