【曲解説】The Beatles – The Long And Winding Road

動画

オーディオ(2009リマスター)

オーディオ(『Let It Be…Naked』バージョン / 2013リマスター)

曲情報

「The Long and Winding Road」(ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード)は、イギリスのロックバンド、The Beatles(ザ・ビートルズ)の楽曲で、1970年のアルバム『Let It Be』に収録された。作詞作曲はPaul McCartney(ポール・マッカートニー)で、クレジットはLennon–McCartney(レノン=マッカートニー)名義となっている。ビートルズ解散から1か月後の1970年5月にシングルとして発売され、アメリカのBillboard Hot 100チャートでビートルズにとって20曲目にして最後の1位を記録した。

楽曲の主なレコーディングは1969年1月に行われ、ピアノ、ベース、ギター、パーカッションによるシンプルなアレンジで録音された。しかし1970年4月のリリース準備の段階で、プロデューサーのPhil Spector(フィル・スペクター)がオーケストラと合唱のオーバーダブを加えた。マッカートニーはこの変更に強く反発し、ビートルズの法的パートナーシップを解消するためにイングランド高等法院に申し立てを行った際、この楽曲の処理をその理由のひとつとして挙げた。後年には、よりシンプルな編成によるバージョンも発表されている。

インスピレーション

マッカートニーは、スコットランドのCampbeltown(キャンベルタウン)近くにある自身の所有地High Park Farm(ハイ・パーク・ファーム)を初めて訪れた際、「The Long and Winding Road」というタイトルを思いついたと語っている。曲のイメージは、湖や山々に囲まれた静かなハイランドの中で「丘へと続く曲がりくねった道」を見たことに由来している。この曲は1968年にスコットランドの自宅で作曲されたもので、当時のビートルズ内部の緊張感からインスピレーションを受けたとされている。作者のHoward Sounes(ハワード・サウンズ)によれば、マッカートニーの他の発言からも、歌詞はビートルズの歴史への郷愁や、自身の人生の方向性への苦悩を反映していると解釈できる。

ロンドンに戻ったマッカートニーは、「The Beatles」制作時のセッションの中で、この曲のデモを録音している。またTom Jones(トム・ジョーンズ)にこの曲を提供しようとしたが、彼のレコード会社が別のシングルをリリース予定だったため実現しなかった。

楽曲はピアノを主体としたバラードで、通常のコード進行を用いている。マッカートニーはコードについて「ややジャジーでレイ・チャールズのスタイルに合っている」と語っている。調性は変ホ長調で、関連するハ短調も使用されている。曲は繰り返されるテーマで構成され、明確なサビがなく、導入部分が曲の始まりか、ヴァースか、ブリッジか曖昧である。

1994年のインタビューでマッカートニーは「これはとても悲しい曲。悲しい曲を書くのが好きなんだ、自分の深層的な感情を表現するには良い手段だし、精神科に行く代わりになる」と述べている。また1990年代にバイオグラファーのBarry Miles(バリー・マイルズ)に対して、「到達できないものについての曲。たどり着けないドア…終わりのない道のようなものだ」と語っている。

録音

1969年1月

「The Long and Winding Road」は1969年1月7日、Twickenham Film Studios(トゥイッケナム・フィルム・スタジオ)でのリハーサル中に初めて披露された。その後、ビートルズはライブ復帰の構想を断念し、新アルバムの制作へと方向転換。1月26日と31日にロンドン中心部のApple Studio(アップル・スタジオ)で複数のテイクを録音した。

このときの編成は、マッカートニーがリードボーカルとピアノ、John Lennon(ジョン・レノン)が6弦ベース、George Harrison(ジョージ・ハリスン)がレスリースピーカーを通したエレキギター、Ringo Starr(リンゴ・スター)がドラム、Billy Preston(ビリー・プレストン)がエレクトリックピアノを担当。レノンは慣れないベース演奏でミスを多くしていた。

1月26日のセッション後、Get Backドキュメンタリーで見られるように、楽曲へのオーケストラ追加が話し合われた。マッカートニーは「レイ・チャールズのバンドのように聞こえるのが自分の理想」と述べ、ハリスンも「ブラスで持続音を入れると良い」と賛同している。

5月には、Glyn Johns(グリン・ジョンズ)がGet Backアルバム用に音源の編集を担当し、1月26日のテイクを選出。1月31日のテイクは、映画『Let It Be』で使用された。

1970年4月

1970年初頭、レノンとハリスンはマネージャーのAllen Klein(アレン・クライン)を通じて、1969年1月の録音テープをアメリカのプロデューサーPhil Spector(フィル・スペクター)に託した。マッカートニーはこの時点でバンドメンバーと疎遠になっており、クラインのマネージャー就任にも反対していたため、スペクターの作業承認に数週間応じなかった。

4月1日、スペクターは「The Long and Winding Road」、「Across the Universe」、「I Me Mine」にオーケストラと合唱をオーバーダブした。ビートルズ最後の公式録音セッションであり、唯一参加したのはスターだけだった。スペクターの異常な振る舞いにより、エンジニアや楽団員と衝突も起きたが、最終的に8人のヴァイオリン、4人のヴィオラ、4人のチェロ、3人のトランペット、3人のトロンボーン、2本のギター、14人の女性合唱団を加えるアレンジが完成した。

オーケストレーションはRichard Hewson(リチャード・ヒューソン)が担当した。ヒューソンはApple所属アーティストのMary Hopkin(メリー・ホプキン)やJames Taylor(ジェームズ・テイラー)の編曲も手がけていた。スペクターによるこの豪華なアレンジは、当初ビートルズが掲げていた「ありのままの録音」という方針とは大きく異なっていた。

4月2日、スペクターは完成したアルバムのアセテート盤を各メンバーに送付し、「何か変更希望があれば連絡してくれ」とメモを添えた。4人全員が同意の電報を返信したとされている。

オーバーダブに対する論争

作業に同意したものの、マッカートニーは4月9日に自身のソロアルバム『McCartney』の発表に際してビートルズの解散を宣言し、その後、スペクターのアレンジに不満を示すようになった。4月14日、アルバム制作が進行中にもかかわらず、クラインに書簡を送り、ハープの削除と他のオーバーダブの削減を要求。「二度とこういうことをするな」と結んだ。

クラインが連絡を試みるもマッカートニーは電話番号を変更しており、返答は「手紙がすべてを語っている」という伝言だった。リリースは予定通り進み、スペクターのバージョンがそのまま使用された。

4月21日と22日付のEvening Standard紙のインタビューで、マッカートニーは「女性の声をビートルズのレコードに入れるなんて信じられない。誰も私の意見を聞かなかった」と不満を表明。通常のプロデューサーGeorge Martin(ジョージ・マーティン)もこのリミックスを「ビートルズらしくない」と評し、Glyn Johnsも「ぞっとするようなアレンジ」と語っている。

マッカートニーはクラインにパートナーシップの解消を求めたが拒否されたため、1971年に他の3人を相手取り高等法院に提訴。その理由の一つに「The Long and Winding Road」の改変が含まれていた。

スターは法廷で、スペクターが各メンバーに承認を求めたこと、マッカートニーも一度は了承したことを証言。「最初は『いいよ』って言ったのに、2週間後に突然『出すな』って言い出した」と語っている。

スペクターは後年、スペクターのアレンジを自身のライブツアーで長年使用していたマッカートニーの姿勢を「偽善的」と批判している。

リリースと評価

「The Long and Winding Road」は1970年5月8日にアルバム『Let It Be』に収録され、アメリカでは5月11日に「For You Blue」との両A面シングルとして発売された。イギリスではシングル発売されなかった。ビートルズ解散直後のリリースという背景もあり、多くのリスナーに感傷的な印象を与えた。

アメリカではBillboard Hot 100で6月13日付で1位を獲得し、翌週も首位を維持。Cash BoxやRecord Worldのチャートでも1位を獲得し、ビートルズにとって22作目および23作目の全米1位シングルとなった。このシングルはBillboardチャートでは比較的短命だったが、1999年にRIAAにより100万枚売上のプラチナ認定を受けている。

アルバム『Let It Be』は批評家からはおおむね否定的に受け止められ、特に「The Long and Winding Road」に施されたオーケストレーションは批判の的となった。Melody Maker誌のRichard Williamsは「ストリングスは部分的には良いが、終盤では邪魔で、ハープはやりすぎ」と評し、Rolling Stone誌のJohn Mendelsohnは「ポールのボーカルの弱さを強調するだけで、実に聴くに堪えない」と酷評した。

一方、Wilfrid MellersやIan MacDonaldはこの曲の音楽的・感情的完成度を評価し、「マッカートニーが書いた中で最も美しい楽曲の一つ」と称えている。また、2003年のMojo誌でJohn Harrisは、「オーケストラが入るたびにプルースト的な郷愁を感じる」と述べ、Guardian紙のAdam Sweetingは「オーバーダブを取り除いたことで明らかに改善されたが、それでも感傷的すぎる」と評した。

2011年にはRolling Stone誌の「最も偉大なビートルズの曲100」で90位にランクイン。Mojo誌の2006年版では27位に選ばれ、Brian Wilsonは「最高のメロディーを持つビートルズの曲」として称賛している。

歌詞の意味

この曲は愛する相手のもとへ戻ろうとする思いが、どれだけ遠回りで苦しい道であっても消えない切なさを、静かな祈りのように描いている。何度離れても同じ道へ戻ってきてしまう自分の心を受け止めながら、過去に置き去りにされた痛みや孤独を抱えたまま、それでも「扉へ導いてほしい」と願う気持ちが深く流れている内容。嵐の夜に流れた涙や、何度も試しては届かなかった思いの軌跡を重ね、それでも向かう先はただ一つという諦めきれない想いがにじむ。長く曲がりくねった道が象徴するのは、報われない恋の苦悩と、それでも希望を手放さない静かな決心であり、胸の奥にずっと残り続ける切ない愛の物語になっている。

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