【曲解説】The Doors – The End

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曲情報

「The End(ジ・エンド)」は、アメリカのロックバンド、ドアーズの楽曲である。ボーカルのジム・モリソンが当初は元恋人のメアリー・ワーベローとの別れを題材に歌詞を書いたが、ウィスキー・ア・ゴーゴーでの数ヶ月にわたるライブ演奏を経て、より長大な作品へと発展した。ドアーズはデビューアルバム『The Doors』の最終トラックとして、約12分におよぶバージョンを録音し、1967年1月4日にリリースした。

この楽曲は『Rolling Stone』誌の「史上最も偉大な500曲」リストで336位に選ばれ、ギターソロは『Guitar World』誌の「史上最も偉大なギターソロ100選」で93位にランクインしている。

歌詞と録音

1969年のインタビューでモリソンは、この曲の歌詞について「聴くたびに違う意味に思える。単なる別れの歌として始めた。たぶん一人の女性に対しての別れ。でも、子供時代との別れともとれるかもしれない。とにかく、意味は聴く人次第だ」と語っている。

また「My only friend, the End(唯一の友は終わり)」という一節について、「死を痛み以上に恐れる人が多いのは不思議だ。人生のほうがよほど苦しい。死の瞬間には苦しみは終わっている。だから、死はむしろ友なのかもしれない」と述べている。

スタジオ録音の中盤には「The killer awoke before dawn / he put his boots on(殺人者は夜明け前に目覚め、ブーツを履いた)」という語りのセクションが登場し、「Father / Yes son? / I want to kill you / Mother, I want to …(父さん / なんだ息子よ? / 殺したい / 母さんを…)」と続く。モリソンはフロリダ州立大学で『オイディプス王』の学生公演に関わっており、キーボーディストのレイ・マンザレクは「ロックという舞台上でギリシア悲劇のオイディプス・コンプレックスを表現したもの」と解釈している。

このオイディプス的な部分について問われたモリソンは、「誰かを巻き込みたくない」として言及を避けた。一方、ギタリストのロビー・クリーガーは、モリソンが本当にオイディプス・コンプレックスを抱えていたと考えていた。

ドラマーのジョン・デンスモアの回想によれば、モリソンは録音中に「誰か俺を理解してる奴はいるのか?」と叫び、涙を流していた。デンスモアは「いる」と答え、長い議論の末、「父を殺す、母と交わる」という一節が意味するのは「自分の中にある他者によって植え付けられた概念を殺し、現実=自然に戻ること」だと説明している。

録音セッション中、モリソンは「fuck the mother, kill the father」というフレーズに取り憑かれており、サウンドエンジニアのブルース・ボトニックが持ち込んだテレビを誤ってコントロールルームの窓に投げつけてしまった。その後モリソンは帰宅を命じられたが、LSDを摂取してスタジオに戻り、消火器でスタジオを破壊した。損害はエレクトラ・レコードに請求された。

ミュージシャンのマイケル・ヒックスによれば、モリソンはインスト部分の間にマイクに向かって「fuck」とリズムに合わせて叫び、これが「リズム楽器」として機能したとされている。スタジオ録音ではこの言葉はミックスの中で埋もれていたが、ライブでは「Light My Fire」などでも顕著に表れた。

『The End』はオーバーダビングなしでスタジオライブ録音され、2テイクのうち2回目が使用されたとされている。この曲は1970年12月12日、ニューオーリンズのザ・ウェアハウスで行われたドアーズ最後のライブで演奏された。

音楽的特徴と作風

「The End」はゴシック・ロックの先駆的楽曲として評価されている。1967年10月に『The Williams Record』紙のライブレビューでジョン・スティックニーがこの曲を「ゴシック・ロック」と表現しており、これがこの語の初出の1つとされている。2017年には『Pitchfork』がこの曲を「ゴスの歴史を語る33曲」の1つに選出している。

この曲はアート・ロックやプログレッシブ・ロック、アシッド・ロックの発展に影響を与えたとされ、『Pop Goes the Decade: The Sixties』ではアシッド・ロックにおける代表的作品として言及されている。また、サイケデリック・ロックやハード・ロックにも分類されている。

音楽的にはMixolydianモードによるニ長調で構成され、インド音楽の要素を取り入れている。クリーガーはラヴィ・シャンカルのレッスンを受けた影響で、開放弦チューニングを用い、シタールやヴィーナのような音色を再現し、ラーガ・ロックの雰囲気を強調している。ピーター・ラヴェッツォリは、クリーガーがインド音楽のジャーラ奏法(急速なストロークと旋律の交互奏法)を独自に発展させたと記している。

歌詞の意味

この曲は崩壊へ向かう意識の流れと終末的な情景が連続する構成になっている。関係の断絶や計画の消失が静かに示され、救いのない状況が冒頭から基調を成している。現実と幻覚が混ざったような場面転換が続き、荒れ果てた土地や象徴的なイメージが積み重なり、主人公の内面が不安定なまま漂っていく様子が強調される。

中盤では、暴力的で夢魘的な挿話が挿入され、物語的な意味よりも意識の混乱そのものが中心に置かれている。都市や西方への言及は逃避と破滅の両方を示し、道行きがどこへ向かっているのか分からないまま不安が膨らむ。

終盤では、別れの痛みや関係の終焉が静かに示され、虚無感が全体を締めくくる。全体として、終末観と心理的崩落が錯綜し、意味の断片が連なる構図によって閉塞した意識を示す曲になっている。

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