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曲情報
「Porpoise Song」(ポーパス・ソング)は、ゲリー・ゴフィンとキャロル・キングによって作詞・作曲され、モンキーズが演奏した楽曲。1968年の映画『Head』および同名のサウンドトラックアルバムのテーマ曲として使用された。
シングル版には、アルバム版や映画のどのシーンでも使用されなかった長めのインストゥルメンタル・アウトロが含まれている。この楽曲は、いくつかのモンキーズのベスト・アルバムにも収録されている。
映画での登場シーン
1968年の映画『Head』では、映画の冒頭とラストに異なるバージョンで登場する。
冒頭のシーンでは、モンキーズのメンバーが何者かに追われ、橋の上を走って逃げる。逃げ場を失ったミッキー・ドレンツは橋から飛び降り、他のメンバーは驚いて見守る。水中に沈んでいく彼を、美しい人魚たちが助ける。
映画の終盤では、他のメンバーも橋から飛び降りる。しかし、彼らが岸へ向かって泳いでいるかのように見えるカメラアングルが、徐々に引いていくと、実は彼らがガラス製の大きな水槽に閉じ込められ、トラックで運ばれていることが明らかになる。
この両シーンでは、映像が強くソラライズ(ネガポジ反転風の色調)されている。
楽曲の背景
ボーカルはミッキー・ドレンツがダブルトラック録音で担当。ただし、サビの「Goodbye, goodbye」の部分はデイビー・ジョーンズが歌っている。
オルガンのリフ、チェロ、ダブルベース、木管楽器、ホーンセクションが織り交ぜられた独特なアレンジになっている。
チャイムやチューブラーベル(管鐘)などの効果音、水の音を思わせる演出も含まれる。
歌詞は、モンキーズの「作られたバンド」的なイメージに疑問を投げかけ、自由と本物の創造性を求めるメッセージが込められている。ドレンツが子役時代に出演していたテレビシリーズ『Circus Boy』への言及もある。
この曲は、1968年2月26日・28日・29日に録音され、プロデューサーはゲリー・ゴフィンが務めた。音楽ライターのアンドリュー・サンダヴァルは、これを「モンキーズの楽曲として最も凝ったプロダクションの一つ」と評している。
ボブ・ラフェルソン(映画『Head』の監督)の証言
モンキーズのテレビシリーズの共同制作者であり、映画『Head』の監督でもあるボブ・ラフェルソンは、この曲についてこう語っている。
キャロル・キングは、サンセット・ブルーバード沿いのアパートに住んでいて、僕は毎日そこに行って話し込んだ。この曲は僕にとって非常に重要だった。”A face, a voice, an overdub has no choice.”(顔、声、オーバーダブされた音——どれも自分では選べない)という歌詞があるが、これはモンキーズの音楽制作の人工的なプロセスを映画の中で描くために不可欠だったんだ。
彼ら(モンキーズ)は、グル(宗教的指導者)、戦争、メディアなどに影響され続けており、彼ら自身が「自分たちの名声の犠牲者」であることを描きたかった。
さらに、キャロル・キングかゲリー・ゴフィンのアイデアで、「実際のイルカの鳴き声を録音してトラックに入れる」ことが決まり、それが曲のエンディングに使われた。
ラフェルソンは「この曲こそが、僕が最も好きなモンキーズの曲だ」とも述べている。
評価と影響
『Cash Box』誌は「プログレッシブな感触があり、ビートルズの『I Am the Walrus』に似た力強いリズムラインを持つ」と評した。
オアシスのノエル・ギャラガーは、2016年のインタビューで「驚くべき楽曲だ」「レコーディング史上、最高の瞬間の一つだ」と語った。
歌詞の意味
タイトル「Porpoise Song」の意味
この歌詞の porpoise は、厳密な分類としての「ネズミイルカ」ではなく、単に「小さなイルカ」くらいの意味で使われている可能性が高い。
理由:
- 一般的なイメージとしてのイルカ
「ネズミイルカ(porpoise)」は実際にはイルカ(dolphin)とは異なる種だが、英語では特に会話や詩的な表現の中で厳密に区別されないことが多い。特にこの歌詞の文脈では、「イルカ=自由で知的な存在」というイメージが重要になっている。 - 歌詞の象徴的な役割
イルカ(porpoise)が「笑っている」「待っている」という描写は、自由や解放、あるいは救済の象徴として機能している可能性がある。これはネズミイルカ(porpoise)というより、一般的な「イルカ」という生き物の持つイメージに近い。 - 作詞の意図と音の響き
作詞したキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが、音の響き(alliteration) や詩的な雰囲気を重視して「porpoise」を選んだ可能性もある。「Porpoise Song」は幻想的で夢幻的な世界観を持つ曲なので、学術的な厳密さよりも音の響きやイメージを優先したと考えられる。
結論:
この歌詞では、「porpoise」は厳密な生物学的な意味での「ネズミイルカ」ではなく、単に「小さなイルカ」あるいは「自由で神秘的な存在」として描かれていると解釈するのが自然。
歌詞の意味
この曲は、時間に追い立てられるような意識の中で、自己の在り方や存在の実体をつかみ損ねている語り手の混乱を描いている。外見や録音された声といった表層的な要素は主体性を持たず、喜びも感じられないという認識が示され、自己像と現実の齟齬が中心的なテーマとして浮かび上がる。語り手は、見たい、聞きたい、存在したいという根源的な欲求を抱きながらも、それが満たされない状況に閉じ込められており、世界に向けた叫びは虚空へ溶けていく。
象徴的な動物の姿は、語り手とは別の次元にある無垢で自由な存在として描かれ、語り手の苦悩とは対照的に軽やかな笑いを浮かべながら遠ざかっていく。ここには、自己の内面に閉じこもる人間世界を相対化する視点が込められ、語り手の孤立を際立たせる役割を果たしている。
後半では、享楽的な幻想や権威的な自己像が皮肉を帯びて語られ、虚飾に満ちた生の不確かさが強調される。現実を知覚することの難しさは、世界そのものが嘘を孕んでいるという感覚と結びつき、語り手は真実へ手を伸ばしながらも届かないまま、別れの感覚だけが反復される。全体として、自己喪失と解放の予兆が交錯する、夢幻的で内省的な世界観を描いた内容になっている。


