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曲情報
「Red Hill Mining Town(レッド・ヒル・マイニング・タウン)」は、ロックバンドU2(ユーツー)の楽曲であり、1987年のアルバム『The Joshua Tree』の6曲目に収録されている。この曲のラフバージョンは、1985年の『The Joshua Tree』制作初期のセッションで作られた。楽曲のテーマは、1984年にイギリスで起こった全国炭鉱労働組合(National Union of Mineworkers)のストライキであり、これは国営炭鉱委員会(National Coal Board)による採算の取れない炭鉱閉鎖の方針に対抗するものだった。1987年2月には、ニール・ジョーダン監督によるミュージックビデオが制作された。この曲は当初、アルバムの2枚目のシングルとして発売される予定だったが、最終的には「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」に変更された。
2017年4月、プロデューサーのスティーブ・リリーホワイトによる新しいミックスバージョンがシングルとしてリリースされた。
背景と録音
1984年、全国炭鉱労働組合(NUM)は、イギリス国営炭鉱委員会(NCB)が採算の取れない多くの炭鉱を閉鎖する決定を下したことに反対し、ストライキを決行した。マーガレット・サッチャー政権はこのストライキに激しく反対した。この争議は政治的、社会的に大きな混乱を引き起こし、労働組合のピケット隊と警察との暴力的な衝突に発展した。20世紀のイギリスで最も分裂と敵対を生んだ市民紛争の一つとなり、ウェールズ、イングランド中部、北部の炭鉱コミュニティに深刻な社会的・経済的影響を与えた。
1984年、ボブ・ディランがアイルランドのスレイン城でライブを行った際、U2のボノは彼をHot Press誌のインタビューで取材し、その後ディランのステージで共演した。この出会いを通じて、ボノは「自分のレコードコレクションは1976年に始まったが、まだまだ学ぶことが多い」と感じ、歌唱、作詞、演奏技術の伝統についてさらに探求するようになった。ボノとディランの友情が深まるにつれ、ボノはディランの過去の作品を掘り下げ、アイルランドとアメリカのフォークミュージックのつながりを探るようになった。また、ブルース・スプリングスティーンの労働者階級の労働歌にも影響を受けた。
U2のフォーク音楽への関心は、アイルランドのフォークバンド「ダブリナーズ」の結成25周年記念番組『The Late Late Show』でのパフォーマンスにも表れた。この番組でU2はペギー・シーガーの「Springhill Mining Disaster」を演奏し、ノバスコシア州の炭鉱災害を題材にした楽曲を披露した。
こうした影響が「Red Hill Mining Town」の制作に結びつき、この曲の初期バージョンは1985年の『The Joshua Tree』制作初期のセッションで作られた。ボノの歌詞はストライキが家族や人間関係に及ぼすストレスに焦点を当てており、多くの家庭が崩壊したことを描いている。特に、トニー・パーカーの著書『Red Hill: A Mining Community』から影響を受けた。ボノは政治的な詳細を深く掘り下げなかったことを一部から批判されたが、自身は「自分は関係性に興味があり、ストライキについてはもっと適任な人がいる」と語っている。
録音時、ボノは初期のボーカルトラックに不満を抱き、「失業をテーマにした曲なのに、ポンド紙幣をポケットに詰め込んだ金持ちみたいに聞こえるのはなぜだろう?」と疑問を呈した。エンジニアは、ボーカルに施されていたステレオプレートリバーブがこの印象を与えていることを発見し、最終的にこのエフェクトを取り除いた。
最終的に、U2はこの曲に完全に満足することはなかった。ミックスを担当したプロデューサーのスティーブ・リリーホワイトは、「バンドはこの曲を完璧な形に仕上げることができなかったと常に感じていた。もう少し良くできたはずだと思っていた」と語っている。特に、アークロー・シルバー・バンドによるブラスの伴奏が音程がずれていると考えられていた。そのため、リリーホワイトはシンセサイザーのトラックをミックスで強調するよう指示された。「1986年当時、キーボードでリアルなブラス音を作れることに感動していたからね」と彼は述べている。
歌詞の意味
この曲は、崩壊の只中にある共同体と個人の関係性を背景に、喪失と執着の感情を描いている。世代をまたいで受け継がれる疲弊や断絶が冒頭で示され、裂け目やひび割れといったイメージは、社会的基盤と人間関係の双方が限界に達している状況を象徴する。硬い手と冷たい心という対比は、長い労働と困難の末に感情が摩耗した姿を浮かび上がらせ、戻れない地点に達したという認識を強調している。
荒涼とした町の描写は、光が消えていく風景とともに、語り手が拠りどころを失いながら唯一残された存在にしがみついている心理を支えている。瓶の空虚さや冷え切った愛の表現は、関係が萎縮しつつある現実を映し出し、恐れや疑念によって深く傷ついた心境が語られる。
中盤では、大地を焼き尽くし空に火を放つような極端な行動が示され、破壊的な行為を通じて何かを掴もうとする逆説が描かれる。鎖が断ち切られ、失われた結びつきを前に、夜が狩人のように迫るイメージは避けられない運命と終焉の気配を象徴する。
終盤では、愛が徐々に剝ぎ取られていく感覚と光が消えていく町の情景が重なり、語り手が絶望の中でなお手放せない対象にしがみつき続ける姿が際立つ。全体として、この曲は崩れゆく世界の中で唯一の支えを必死に守ろうとする心の動きを、荒涼とした風景描写とともに提示している。

