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曲情報
U2の「Sunday Bloody Sunday」(サンデイ・ブラディ・サンデイ)は、アイルランドのロックバンドU2の楽曲であり、1983年のアルバム『War』の冒頭曲として収録された。1983年3月21日にオランダと西ドイツでアルバムからの3枚目のシングルとして発売された。特徴的な軍隊風のドラムビート、荒々しいギター、そしてメロディアスなハーモニーが際立ち、U2の中でも最も政治的なメッセージを持つ曲の一つとされる。歌詞は、北アイルランド問題を傍観する者が受ける恐怖感を描いており、主に1972年のデリーにおける「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」に焦点を当てている。武装していない市民権活動家たちがイギリス軍に射殺されたこの出来事を受け、「Sunday Bloody Sunday」は「New Year’s Day」とともにU2のより広いファン層への浸透に大きく貢献した。
リリース当初から批評家から好意的に評価され、バンドのライブにおいても定番のレパートリーとなっている。初期のライブ演奏では議論を呼んだが、ボノは長年にわたり反セクト主義・非暴力のメッセージを観客に再確認させてきた。今日ではU2の代表曲の一つと見なされ、最も頻繁に演奏される楽曲の一つとなっている。また、多くの批評家によって優れた政治的プロテストソングとして評価され、十数名以上のアーティストがカバーを行っている。2004年にはローリング・ストーン誌の「史上最高の500曲」において268位に選ばれた。
作詞・レコーディング
「Sunday Bloody Sunday」の原型は、1982年にギタリストのエッジが作ったギターリフと歌詞の断片から生まれた。当時、新婚旅行でジャマイカに滞在していたボノとアリ・ヒューソンとは別に、エッジはアイルランドでバンドの次作アルバム用の楽曲制作に取り組んでいた。恋人との口論をきっかけに自分の作曲能力に疑いを抱いたエッジは、「落ち込み、恐怖や苛立ち、自分への嫌悪感を音楽に注ぎ込んだ」という。
ボノが歌詞を手直しし、バンドはダブリンのウィンドミル・レーン・スタジオで楽曲をレコーディングした。プロデューサーのスティーヴ・リリーホワイトはドラマーのラリー・マレンJr.にクリックトラックの使用を提案したが、マレンは当初これに反対していた。ところが、Sly & the Family Stoneのドラマーであるアンディ・ニューマークとの偶然の出会いが転機となり、最終的にクリックトラック導入を受け入れたという。これによって生まれた冒頭のドラム・パターンが本曲のフックとなった。さらにバイオリン奏者のスティーヴ・ウィッカムがスタジオでエレクトリック・バイオリンを録音し、最終的な楽曲の重要な要素となった。
歌詞の直接のきっかけは、ニューヨークで仮釈放中のIRA支持者と出会ったことである。U2のマネージャーだったポール・マクギネスは、1982年のセント・パトリックス・デー・パレードにバンドを参加させる段取りを整えていたが、パレードの名誉マーシャルが1年前にハンガーストライキで死亡したIRAのボビー・サンズになる可能性が浮上したため、バンド側はこれを拒否することにした。この一連のやり取りを通じて、北アイルランド問題に対するU2のスタンスが一層明確になった。
構成
「Sunday Bloody Sunday」は4分の4拍子、テンポは103BPM。冒頭は軍隊調のスネアドラムとエレクトリック・バイオリンで始まる。マーチのようなドラムリズムは、スタジオの階段下で録音することで自然なリバーブ効果を得ている。その後、エッジのギターのアルペジオが繰り返され、Bm(変化形)のコード進行によって楽曲は不穏な雰囲気を醸し出す。
ヴァースでは歌詞とギターが攻撃的な調子を強める一方で、サビでは「How long, how long must we sing this song?」というボノのフレーズに合わせ、メジャーコードが登場して希望的な雰囲気を生む。エッジのコーラスがサビをリフレインし、スネアドラムは一時的に休止することで楽曲のダイナミクスを変化させている。
歌詞の内容は、1972年と1920年に起きた二つの「血の日曜日事件」に言及しているとされるが、特定の出来事だけを描いているわけではなく、北アイルランドで繰り返される暴力の連鎖を嘆き、対立をやめて和解に向かうことを訴えている。もともとは「IRA」「UDA」といった具体的な名前が含まれていたが、過激すぎると判断され削除された経緯がある。
ミュージックビデオ
オリジナルリリース時にはプロモーション用のミュージックビデオが制作されなかったが、1983年6月5日に収録されたライブ映像を使って代替とした。これはコンサート映像作品『U2 Live at Red Rocks: Under a Blood Red Sky』の一部で、監督はギャヴィン・テイラーが務めた。雨の降るアメリカ・コロラド州のレッド・ロックス野外劇場で、ボノが白い旗を振りながら「Sunday Bloody Sunday」を歌う様子は強いインパクトを与え、MTVでのヘビーローテーションを通じてU2の名を全米に広める重要なきっかけとなった。
評価
U2は「Sunday Bloody Sunday」の歌詞が誤解を招く可能性があると承知のうえで制作に踏み切り、一部のリスナーからは反逆的なレベルソングと見なされることもあった。しかしバンドとしては暴力の連鎖を批判する非宗派的な視点を貫き、曲の主張を不特定の暴力へ向けたため、広い支持を得ることとなった。シングルとしてはオランダで3位まで上昇し、アメリカではアルバム・オリエンテッド・ロックのラジオで大きく取り上げられたことで、U2が本格的にアメリカのロックシーンに進出する端緒となった。
リリース当時から批評家の評価は高く、アイルランドの音楽誌『Hot Press』は「パワフルなリフとマシンガンのようなドラムが、バイオリンの軽快な音色と交錯する」と評した。AllMusicのデニス・サリヴァンは、マレンのドラムが「楽曲のみならずアルバム全体の容赦ないトーンを決定づける」と述べている。
歌詞の意味
この曲は暴力と分断が続く社会状況に対する憤りと悲しみを目撃者の視点から強い緊張感をもって描いている。冒頭で語り手は理不尽な惨状を前に無力感を示し、目を閉じても現実は消えないという認識が提示される。割れた瓶や遺体が散乱する具体的な描写は、市井の人々が巻き込まれる暴力の生々しさを象徴し、争いが個人の生活空間に浸食していることを強調している。
争いが始まったばかりだと語られる一方で、その戦場は外側だけでなく、人々の心の内部にも掘られているとされ、地域社会や家族を引き裂く深い分断が主題として浮かび上がる。繰り返される問いは無力さだけでなく、争いの連鎖を断ち切りたいという願いを含み、暴力の終結を求める倫理的訴えとして機能する。
終盤では、情報の混乱や無関心が暴力の継続を助長するという批評的視点が示され、豊かな側と犠牲を強いられる側との落差が痛烈に描かれる。全体として、歴史的事件への直接的言及を軸にしながら、暴力の不条理とその背後にある社会的・精神的課題を鋭く照射する構成になっている。


