【歌詞和訳】David Bowie – Station To Station

動画

1981年の映画『クリスチアーネ・F(Christiane F)』に登場するデヴィッド・ボウイのライブシーン

オーディオ

歌詞&翻訳

The return of the Thin White Duke
シン・ホワイト・デュークの帰還
Throwing darts in lovers’ eyes
恋人たちの目にダーツを投げつける

Here are we, one magical moment
ここにいる俺たち、ひとつの魔法のような瞬間
Such is the stuff, from where dreams are woven
夢が紡がれる素材ってまさにこんなもの
Bending sound, dredging the ocean
音をねじ曲げ、海の底をさらい
Lost in my circle
俺の円環の中で迷子になってる
Here am I, flashing no colour
ここにいるのは俺だ、無色のきらめきを放ち
Tall in this room overlooking the ocean
海を見下ろすこの部屋で背筋を伸ばしてる
Here are we, one magical movement
ここにいるのは俺たちだ、ひとつの魔法のような動き
From Kether to Malkuth
ケテルからマルクトへ
There are you, drive like a demon
そこにいる君、悪魔のように駆け抜ける
From station to station
十字架の道行きのように

The return of the Thin White Duke
シン・ホワイト・デュークの帰還
Throwing darts in lovers’ eyes
恋人たちの目にダーツを投げつける
The return of the Thin White Duke
シン・ホワイト・デュークの帰還
Throwing darts in lovers’ eyes
恋人たちの目にダーツを投げつける
The return of the Thin White Duke
シン・ホワイト・デュークの帰還
Making sure white stains
白い染みをを忘れずに

Once there were mountains on mountains
かつては幾重にも連なる山々があった
And once there were sun birds to soar with
かつては太陽の鳥が空を舞っていた
And once I could never be down
かつては落ち込むことなんてありえなかった
Got to keep searching and searching
探して、探し続けるしかない
And oh, what will I be believing
ああ、俺は何を信じることになるんだろう
And who will connect me with love?
誰が俺を愛とつなげてくれるんだろう?
Wonder who, wonder who, wonder when
誰だろう、誰だろう、いつだろう
Have you sought fortune, evasive and shy?
幸運を探したかい?つかみどころがなく、恥ずかしがり屋のような
Drink to the men who protect you and I
俺たちを守る者たちに乾杯しよう
Drink, drink, drain your glass, raise your glass high
飲め、飲め グラスを空けて高く掲げよう

It’s not the side-effects of the cocaine
コカインの副作用なんかじゃないんだ
I’m thinking that it must be love
これはきっと愛なんだと思う

It’s too late to be grateful
感謝するにはもう遅すぎる
It’s too late to be late again
また遅れるにはもう遅すぎる
It’s too late to be hateful
憎しみを抱くにはもう遅すぎる
The European canon is near
ヨーロッパの正典が近づいてる

I must be only one in a million
俺は百万人に一人の存在かもしれない
I won’t let the day pass without her
彼女なしに今日を終わらせたくない

It’s too late to be grateful
感謝するにはもう遅すぎる
It’s too late to be late again
また遅れるにはもう遅すぎる
It’s too late to be hateful
憎しみを抱くにはもう遅すぎる
The European canon is here
ヨーロッパの正典がここにある

Should I believe that I’ve been stricken?
恋に落ちたと信じるべきなのか?
Does my face show some kind of glow?
俺の顔に何か光るものが見えてる?

It’s too late to be grateful
感謝するにはもう遅すぎる
It’s too late to be late again
また遅れるにはもう遅すぎる
It’s too late to be hateful
憎しみを抱くにはもう遅すぎる
The European canon is here, yes it’s here
ヨーロッパの正典がここにある そう、ここにある
It’s too late, It’s too late
もう遅すぎる もう遅すぎる
It’s too late, It’s too late
もう遅すぎる もう遅すぎる
It’s too late
もう遅すぎる
The European canon is near
ヨーロッパの正典が近い

It’s not the side-effects of the cocaine
コカインの副作用なんかじゃないんだ
I’m thinking that it must be love
これはきっと愛なんだと思う

It’s too late to be grateful
感謝するにはもう遅すぎる
It’s too late to be late again
また遅れるにはもう遅すぎる
It’s too late to be hateful
憎しみを抱くにはもう遅すぎる
The European canon is here
ヨーロッパの正典がここにある

I must be only one in a million
俺は百万人に一人の存在かもしれない
I won’t let the day pass without her
彼女なしに今日を終わらせたくない

It’s too late to be grateful
感謝するにはもう遅すぎる
It’s too late to be late again
また遅れるにはもう遅すぎる
It’s too late to be hateful
憎しみを抱くにはもう遅すぎる
The European canon is here, yes it’s here
ヨーロッパの正典がここにある そう、ここにある

Should I believe that I’ve been stricken?
恋に落ちたと信じるべきなのか?
Does my face show some kind of glow?
俺の顔に何か光るものが見えてる?

It’s too late to be grateful
感謝するにはもう遅すぎる
It’s too late to be late again
また遅れるにはもう遅すぎる
It’s too late to be hateful
憎しみを抱くにはもう遅すぎる
The European canon is here, yes it’s here
ヨーロッパの正典がここにある そう、ここにある
It’s too late, It’s too late
もう遅すぎる もう遅すぎる
It’s too late, It’s too late
もう遅すぎる もう遅すぎる
It’s too late
もう遅すぎる
The European canon is here
ヨーロッパの正典がここにある

曲情報

 「Station to Station」(ステーション・トゥ・ステーション)はイギリスのミュージシャン、デヴィッド・ボウイによる10枚目のスタジオ・アルバムで、1976年1月23日にRCAレコードからリリースされた。ボウイの最も重要な作品の一つと見なされており、彼のパフォーマンス上のキャラクター「シン・ホワイト・デューク」の媒体となった。ボウイとハリー・マスリンの共同プロデュースで、1975年後半、ロサンゼルスのチェロキー・スタジオで主に録音され、当時ボウイは映画『地球に落ちて来た男』の撮影を終えたばかりだった。アルバムのジャケットにはその映画のスチルが使用されている。レコーディング中、ボウイはコカインを中心とする複数の薬物依存に苦しんでおり、後に制作時の記憶がほとんどないと語っている。

背景

 「私は人生最悪の躁うつ病を経験した。精神が崩壊してしまった。24時間ずっと幻覚を見ていた…まるで地の底に落ちていったようだった」
— ボウイ、コカイン中毒について

 デヴィッド・ボウイは1974年夏、アルバム『ダイアモンドの犬』のリリース後にコカイン中毒に陥った。アラン・イェントブ監督によるドキュメンタリー『Cracked Actor』は、同年9月の「ダイアモンド・ドッグズ・ツアー」におけるボウイの精神状態を描いている。1987年のインタビューでボウイは「あの時期、自分は完全に塞がっていた…薬漬けだった…あれはまさに犠牲者だ。あの時期を生き延びたのが信じられない。肉体的に完全に自分をダメにする寸前だった」と語っている。1975年初頭にそのドキュメンタリーの試写を観たニコラス・ローグ監督は、ウォルター・テヴィスの小説『地球に落ちて来た男』の映画化作品で主演を依頼した。ボウイはこの役を引き受け、撮影のためニューヨークからロサンゼルスへ移住した。

 ロサンゼルス到着後、ボウイはディープ・パープルのベーシストであるグレン・ヒューズの家に滞在した。また、旧友のイギー・ポップをリハビリ施設に訪ねた。二人は1975年5月に録音を試みたが、ポップのヘロイン依存のためセッションは不発に終わった。ヒューズは伝記作家マーク・スピッツに対し、ボウイがエレベーターを高所恐怖症から拒むなど、極度の被害妄想状態だったと語っている。中毒によってキース・ムーン、ジョン・レノン、ハリー・ニルソンらとの友情も断たれた。ボウイ自身、「本当に大切な友人や関係をすべて失いたいなら、コカインが最適な薬だ」と述べている。

 伝記作家デヴィッド・バックリーによると、当時のボウイの食事は赤と緑のピーマン、牛乳、そしてコカインが中心だったという。ボウイは後に、体重は約80ポンド(約36kg)で「ほとんど常に意識が飛んでいた」と語っている。ヒューズによれば、ボウイは3〜4日間眠らないこともあったという。いくつかのインタビューから広まった逸話には、古代エジプトの遺物で満たされた家に住み、黒いロウソクを灯し、窓の外を死体が落ちていくのを見ていたとか、自分の精液が魔女に盗まれた、ローリング・ストーンズから秘密のメッセージを受け取った、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジを恐れていたといったものがある。1977年の『メロディ・メーカー』誌のインタビューで、ボウイはロサンゼルスでの生活を「そこには底知れぬ不安がある…あらゆる通りにそれが感じられる」と表現し、3年後には『NME』誌に「この街は地球上から消えてしまえばいい」と語っている。1975年4月、ボウイは音楽活動からの引退を発表し「ロックはやり尽くした。もう飽きた。つまらない行き止まりだ。今後ロックンロールのレコードもツアーもない」と述べた。伝記作家ニコラス・ペグは、この発言はボウイの精神の崩壊状態を示すものであり、実際の引退は半年も続かなかったと記している。映画の撮影は1975年6月に始まった。

歌詞とテーマ

 ボウイは薬物と被害妄想にまみれた生活の中で何日も眠らず、ひたすら本を読み続けた。1975年2月、ジミー・ペイジと接触した際にアレイスター・クロウリーの著作について語られ、すでに1971年のアルバム『ハンキー・ドリー』に収録された「Oh! You Pretty Things」「Quicksand」にも見られたオカルト的関心がさらに強まった。ボウイは、ニーチェの「超人」思想や、ナチスと聖杯神話、カバラ思想などを研究し、こうした要素を『Station to Station』の全編にわたって反映させた。ニコラス・ペグは、このアルバムの主題を「オカルトとキリスト教の衝突」と形容している。

 タイトル曲「Station to Station」はボウイの新たなキャラクター「シン・ホワイト・デューク」の登場を告げるものであり、以後半年間、本人の代弁者としても機能した。デュークは『地球に落ちて来た男』の主人公トーマス・ジェローム・ニュートンに着想を得ており、白いシャツに黒いズボンとベストという姿で登場した。キャリルとマーレイはこのキャラクターを「恋の歌を苦悶の激情で歌うが、何も感じていない空虚な男」と描写し、「氷が炎を装っている」「恋人の目にダーツを投げつけるような存在」と表現した。評論家たちはこのデューク像を「狂気の貴族」「無感情なアーリア系ゾンビ」と呼び、ボウイ自身も「実に嫌な奴だった」と語っている。

 冒頭の列車の音にもかかわらず、「Station to Station」というタイトルは鉄道駅ではなく、キリストの磔刑までの道のりを描く「十字架の道行き」(ステーションズ・オブ・ザ・クロス)を指しているとボウイは述べている。また、「ケテルからマルクトへ」という歌詞に見られるように、カバラの「生命の樹」を通じた旅路を象徴しているとも語った。ペグはこの曲にキリスト教とユダヤ教の両方の要素が混在していると指摘している。また、ウィリアム・シェイクスピアの『テンペスト』の引用もある。クロウリーの詩集『White Stains』に由来するフレーズや、「It’s not the side effects of the cocaine / I’m thinking that it must be love.」(コカインの副作用なんかじゃない/これは愛に違いない)といった直接的な薬物言及も見られる。

 スピッツは『Station to Station』を「愛の歌のアルバム」と捉えており、特に「Golden Years」は、実際には「愛」という言葉を使っていない愛の歌であると指摘されている。この曲の主人公は相手に対し、常に守り抜くと誓い、明るい未来を約束している。キャリルとマーレイはこの曲に「過去の喜びや逃した機会への後悔の空気」が漂っていると評している。「Stay」の歌詞は「性愛的征服の不確実性」や「デュークの虚偽のロマン主義」を描いていると解釈されている。

 「Station to Station」「Word on a Wing」「Golden Years」「TVC 15」には宗教的、精神的テーマが見られるが、キャリルとマーレイはこれらも愛と同様に「デュークが自身の無感覚を試す手段」に過ぎなかったと述べている。ボウイは少なくとも「Word on a Wing」に関しては「本物の情熱が込められている」と語っている。「TVC 15」にはコメディ的な要素があり、多くの評論家がこの曲を「シュールな喜劇」と形容している。内容は、ある登場人物の恋人がテレビに飲み込まれるというもので、イギー・ポップが見た夢と、映画『地球に落ちて来た男』のシーンが着想源となっている。ペグはこの曲を「アルバム中で異色の存在」としている。

歌詞の意味

タイトル「Station To Station」の意味

 Station(駅)は鉄道の駅ではなく、「十字架の道行き(Stations of the Cross)」における駅を指す。キリストの受難の道を14の「駅(station)」で区切って祈る宗教儀式をなぞらえ、精神的な苦難や変容の旅を象徴している。

シン・ホワイト・デュークとは?

The return of the Thin White Duke
シン・ホワイト・デュークの帰還

 ボウイがこの曲で演じているキャラクター。白いシャツと黒いベストを着た冷酷で感情を持たない貴族的な男。感情なき恋愛を歌い、退廃的かつ危険な存在として描かれる。作者自身も「嫌なやつだった」と振り返っている。

 ちなみに thin は「痩せた」、 white は「白い」、 duke は「公爵」を意味するが、キャラクター名として使われているため、そのままカタカナで「シン・ホワイト・デューク」と訳す必要がある。

ケテルからマルクトへ?

From Kether to Malkuth
ケテルからマルクトへ

 カバラの生命の樹にある10のセフィラのうち、「ケテル」は最上位にある神的な純粋意識、「マルクト」は最下層の物質世界。そこを縦断する旅は、神聖から現実への下降、あるいは堕落や試練を表す。

白い染み?

Making sure white stains
白い染みをを忘れずに

 アレイスター・クロウリーの詩集『White Stains』への言及と考えられる。性的・オカルト的象徴を含む言葉であり、シン・ホワイト・デュークの退廃性やボウイのドラッグ体験も暗示されている。

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