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曲情報
「アイ・シュッド・ビー・ソー・ラッキー」(邦題:ラッキー・ラヴ)は、オーストラリアのシンガーソングライターのカイリー・ミノーグが1987年に歌った曲で、彼女のデビュースタジオアルバム『カイリー』(1988年)に収録されている。1987年12月29日にマッシュルームレコードとPWLレコードからリリースされ、この曲は世界的に大ヒットとなった。シングルの表紙のミノーグの写真は、デビッド・レヴァインが撮影した。この曲は、ミノーグのためにストック・エイトキン・ウォーターマンが作詞作曲し、プロデュースした。ウォーターマンはその後、ミノーグの最初の4枚のスタジオアルバムをプロデュースした。
この曲は現代音楽評論家から好意的なレビューを受けたが、歌詞の内容が「単純すぎる」と否定する者もいた。それにもかかわらず、世界中で商業的な注目を集め、イギリス、オーストラリア、ドイツ、南アフリカなどの国でチャートのトップに立ち、ニュージーランドや日本などの国ではトップ10入りを果たし、アメリカのビルボード ・ダンス・クラブ・ソング・チャートでも上位に入った。2023年、ミノーグはBBCスポーツのオープニング映画で「I Should Be So Lucky」の特別版を歌い、 2023FIFA女子ワールドカップのイングランド対オーストラリアの準決勝で歌われた。
オーストラリアでデビューシングル「ロコモーション」が成功した後、ミノーグはイギリスで成功を収めた作曲・制作チーム、ストック・エイトキン・ウォーターマンと仕事をするためにロンドンへ向かった。彼らはミノーグのことをほとんど知らず、彼女が到着することを忘れていた。そのため、彼女がレコーディングスタジオの外で待っている間に、40分で「I Should Be So Lucky」を書いた。マイク・ストックは、ミノーグが到着する前に知らされた情報をもとにこの曲の歌詞を書いた。彼は、ミノーグがオーストラリアで成功したメロドラマのスターで非常に才能があるが、何か問題があるに違いなく、恋愛運が悪いに違いないと考えた。ミノーグはこの曲を1時間もかからずに録音したが、ストックはこれを彼女の音楽に対する優れた耳と記憶力の素早さのおかげだとしている。しかし、彼女は歌詞を1行ずつ歌わせられたが、その曲がどんな感じに聞こえるかわからず、怒ってスタジオを去った。
ミノーグはレコーディングを終えると、オーストラリアに帰国し、メロドラマ「ネイバーズ」の制作を続けた。その後、この曲はプロデューサーたちに棚上げされ、忘れ去られてしまったが、マッシュルーム・レコードのゼネラル・マネージャー、ゲイリー・アシュリーが「飛行機に乗っておまえらのところに行くぞ」と脅したことで、ようやく編曲され完成に至った。ストックは後にガーディアン紙に次のように語っている。「僕らは約40分で曲を仕上げなければならなかったのですが、彼女は満足することなく帰ってしまったよ。ヒット曲が生まれるとは思っていなかった。だから、この曲が5週間1位になったとき、誰かが『次の曲は?』と言ったんだ。次の曲なんて用意してなかったよ。それで僕は1988年の初めにオーストラリアに行って、ジェイソンと彼女のマネージャーと一緒にバーで彼女に会ったんだ。基本的に100ヤード離れた所から膝で這いながら、何度も謝ったよ」
マッシュルーム・レコードはオーストラリアを拠点とするレコード会社で、この曲はイギリスのプロデューサーチーム「Stock Aitken Waterman」に外注して作られた。
歌詞の意味
この曲は、片想いの相手に思いを寄せながら、その関係が現実には進展しないことを語り手が自覚しつつ、想像の中でだけ理想の恋を育てている姿を描いている。語り手の世界では迷いも障害もなく、手を取り合う幸福な情景が繰り返し浮かぶが、それはすべて心の中にしか存在しないという前提が終始保たれている。相手が自分に恋をしてくれるという幻想は、願望が生み出す一方的な物語であり、その切なさが中心にある。
実際には相手に気づかれることすらままならず、期待が裏切られるたびに語り手の心は揺れる。とはいえ、夢想を完全に手放すこともできず、むしろその幻想が日常を支える慰めとして働いている。現実と空想の落差が痛みとして蓄積される一方、語り手は運が良ければ愛が叶うかもしれないという淡い願望にしがみつき、そこに恋の不確実性と希望の両方が重なっている。
全体として、叶わぬ恋を抱きながら想像の中で幸福を追体験する語り手の姿が、軽やかな口調の裏に切実さを帯びつつ描かれている。


