動画
歌詞&翻訳
Yeah, mm-hm
I can’t believe the news today
今日のニュースが信じられない
Oh, I can’t close my eyes and make it go away
目を閉じても消えやしない
How long? How long must we sing this song?
どれだけ、どれだけこの歌を歌い続けなきゃいけないんだ?
How long? How long?
どれだけ、どれだけ?
‘Cause tonight
でも今夜
We can be as one, tonight
俺たちは一つになれる、今夜
Broken bottles under children’s feet
割れた瓶が子供たちの足元に散らばり
Bodies strewn across the dead end street
行き止まりの通りには遺体が横たわる
But I won’t heed the battle call
でも俺は戦いの声には耳を貸さない
It puts my back up, puts my back up against the wall
それは俺の背を押し、壁へと追い詰めるだけだから
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
Oh, let’s go
さあ、行こう
And the battle’s just begun
戦いはまだ始まったばかり
There’s many lost, but tell me, who has won?
多くの命が失われたが、教えてくれ、一体誰が勝ったんだ?
The trench is dug within our hearts
塹壕が俺たちの心の中に掘られ
And mothers, children, brothers, sisters torn apart
母親も、子供も、兄弟も、姉妹も引き裂かれていく
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
How long? How long must we sing this song?
どれだけ、どれだけこの歌を歌い続けなきゃいけないんだ?
How long? How long?
どれだけ、どれだけ?
‘Cause tonight
でも今夜
We can be as one, tonight
俺たちは一つになれる、今夜
Sunday, Bloody Sunday (Tonight, tonight)
日曜日、血の日曜日(今夜、今夜)
Sunday, Bloody Sunday (Tonight, tonight)
日曜日、血の日曜日(今夜、今夜)
Come get some
さあ、来いよ
Wipe the tears from your eyes
涙を拭え
Wipe your tears away
その涙を拭ってくれ
I’ll wipe your tears away
俺がその涙を拭おう
I’ll wipe your tears away
俺がその涙を拭おう
Sunday, Bloody Sunday (I’ll wipe your bloodshot eyes)
日曜日、血の日曜日(俺がその赤く染まった瞳を拭おう)
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
Sunday, Bloody Sunday, oh
日曜日、血の日曜日、ああ
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
Sunday, Bloody Sunday, oh
日曜日、血の日曜日、ああ
Yeah, let’s go
さあ、行こう
And it’s true we are immune
そう、俺たちは免疫ができてしまったのかもしれない
When fact is fiction and TV reality
事実が虚構になり、テレビが現実になる世界で
And today the millions cry (Sunday, Bloody Sunday)
そして今や何百万もの人が泣いている(日曜日、血の日曜日)
We eat and drink while tomorrow they die (Sunday, Bloody Sunday)
俺たちが飲み食いしている間に死にゆく人たちがいる(日曜日、血の日曜日)
The real battle just begun (Sunday, Bloody Sunday)
今まさに始まったんだ(日曜日、血の日曜日)
To claim the victory Jesus won (Sunday, Bloody Sunday) on
イエスが勝ち取った勝利を証明するための本当の戦いが(日曜日、血の日曜日)
Sunday, Bloody Sunday, yeah, yeah
日曜日、血の日曜日
Sunday, Bloody Sunday
日曜日、血の日曜日
曲情報
U2の「Sunday Bloody Sunday」(サンデイ・ブラディ・サンデイ)は、アイルランドのロックバンドU2の楽曲であり、1983年のアルバム『War』の冒頭曲として収録された。1983年3月21日にオランダと西ドイツでアルバムからの3枚目のシングルとして発売された。特徴的な軍隊風のドラムビート、荒々しいギター、そしてメロディアスなハーモニーが際立ち、U2の中でも最も政治的なメッセージを持つ曲の一つとされる。歌詞は、北アイルランド問題を傍観する者が受ける恐怖感を描いており、主に1972年のデリーにおける「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」に焦点を当てている。武装していない市民権活動家たちがイギリス軍に射殺されたこの出来事を受け、「Sunday Bloody Sunday」は「New Year’s Day」とともにU2のより広いファン層への浸透に大きく貢献した。
リリース当初から批評家から好意的に評価され、バンドのライブにおいても定番のレパートリーとなっている。初期のライブ演奏では議論を呼んだが、ボノは長年にわたり反セクト主義・非暴力のメッセージを観客に再確認させてきた。今日ではU2の代表曲の一つと見なされ、最も頻繁に演奏される楽曲の一つとなっている。また、多くの批評家によって優れた政治的プロテストソングとして評価され、十数名以上のアーティストがカバーを行っている。2004年にはローリング・ストーン誌の「史上最高の500曲」において268位に選ばれた。
作詞・レコーディング
「Sunday Bloody Sunday」の原型は、1982年にギタリストのエッジが作ったギターリフと歌詞の断片から生まれた。当時、新婚旅行でジャマイカに滞在していたボノとアリ・ヒューソンとは別に、エッジはアイルランドでバンドの次作アルバム用の楽曲制作に取り組んでいた。恋人との口論をきっかけに自分の作曲能力に疑いを抱いたエッジは、「落ち込み、恐怖や苛立ち、自分への嫌悪感を音楽に注ぎ込んだ」という。
ボノが歌詞を手直しし、バンドはダブリンのウィンドミル・レーン・スタジオで楽曲をレコーディングした。プロデューサーのスティーヴ・リリーホワイトはドラマーのラリー・マレンJr.にクリックトラックの使用を提案したが、マレンは当初これに反対していた。ところが、Sly & the Family Stoneのドラマーであるアンディ・ニューマークとの偶然の出会いが転機となり、最終的にクリックトラック導入を受け入れたという。これによって生まれた冒頭のドラム・パターンが本曲のフックとなった。さらにバイオリン奏者のスティーヴ・ウィッカムがスタジオでエレクトリック・バイオリンを録音し、最終的な楽曲の重要な要素となった。
歌詞の直接のきっかけは、ニューヨークで仮釈放中のIRA支持者と出会ったことである。U2のマネージャーだったポール・マクギネスは、1982年のセント・パトリックス・デー・パレードにバンドを参加させる段取りを整えていたが、パレードの名誉マーシャルが1年前にハンガーストライキで死亡したIRAのボビー・サンズになる可能性が浮上したため、バンド側はこれを拒否することにした。この一連のやり取りを通じて、北アイルランド問題に対するU2のスタンスが一層明確になった。
構成
「Sunday Bloody Sunday」は4分の4拍子、テンポは103BPM。冒頭は軍隊調のスネアドラムとエレクトリック・バイオリンで始まる。マーチのようなドラムリズムは、スタジオの階段下で録音することで自然なリバーブ効果を得ている。その後、エッジのギターのアルペジオが繰り返され、Bm(変化形)のコード進行によって楽曲は不穏な雰囲気を醸し出す。
ヴァースでは歌詞とギターが攻撃的な調子を強める一方で、サビでは「How long, how long must we sing this song?」というボノのフレーズに合わせ、メジャーコードが登場して希望的な雰囲気を生む。エッジのコーラスがサビをリフレインし、スネアドラムは一時的に休止することで楽曲のダイナミクスを変化させている。
歌詞の内容は、1972年と1920年に起きた二つの「血の日曜日事件」に言及しているとされるが、特定の出来事だけを描いているわけではなく、北アイルランドで繰り返される暴力の連鎖を嘆き、対立をやめて和解に向かうことを訴えている。もともとは「IRA」「UDA」といった具体的な名前が含まれていたが、過激すぎると判断され削除された経緯がある。
ミュージックビデオ
オリジナルリリース時にはプロモーション用のミュージックビデオが制作されなかったが、1983年6月5日に収録されたライブ映像を使って代替とした。これはコンサート映像作品『U2 Live at Red Rocks: Under a Blood Red Sky』の一部で、監督はギャヴィン・テイラーが務めた。雨の降るアメリカ・コロラド州のレッド・ロックス野外劇場で、ボノが白い旗を振りながら「Sunday Bloody Sunday」を歌う様子は強いインパクトを与え、MTVでのヘビーローテーションを通じてU2の名を全米に広める重要なきっかけとなった。
評価
U2は「Sunday Bloody Sunday」の歌詞が誤解を招く可能性があると承知のうえで制作に踏み切り、一部のリスナーからは反逆的なレベルソングと見なされることもあった。しかしバンドとしては暴力の連鎖を批判する非宗派的な視点を貫き、曲の主張を不特定の暴力へ向けたため、広い支持を得ることとなった。シングルとしてはオランダで3位まで上昇し、アメリカではアルバム・オリエンテッド・ロックのラジオで大きく取り上げられたことで、U2が本格的にアメリカのロックシーンに進出する端緒となった。
リリース当時から批評家の評価は高く、アイルランドの音楽誌『Hot Press』は「パワフルなリフとマシンガンのようなドラムが、バイオリンの軽快な音色と交錯する」と評した。AllMusicのデニス・サリヴァンは、マレンのドラムが「楽曲のみならずアルバム全体の容赦ないトーンを決定づける」と述べている。