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「Jumpin’ Jack Flash」(ジャンピン・ジャック・フラッシュ)は、イギリスのロックバンド、ローリング・ストーンズ(the Rolling Stones)が1968年にアルバム未収録のシングルとして発表した曲で、全英シングルチャートおよびアメリカの Cash Box Top Singles で1位を記録した。Rolling Stone 誌はこの曲を「スウィンギング・ロンドンを経由した超自然的デルタ・ブルース」と評している。『Aftermath』(1966年)、『Between the Buttons』(1967年)、とりわけ『Their Satanic Majesties Request』(1967年)で聴かれたバロック・ポップやサイケデリアを経た後、バンドがブルースロックの原点へ回帰した作品として受け止められた。
「Jumpin’ Jack Flash」は、2021年版の Rolling Stone 誌「史上最高の500曲」で144位にランクインしている。
着想と録音
ミック・ジャガーとキース・リチャーズによって書かれたこの曲は、1968年の『Beggars Banquet』セッション中に録音が始まった。特徴的なサウンドについて、ギタリストのリチャーズは次のように語っている。
「ギブソンのハミングバードのアコースティックをオープンDでチューニングした。オープンDでもオープンEでも同じで、インターバルは同じだけど、Dのほうが少し緩めになる。そこにカポを付けて、あの引き締まった音を出した。その上にもう一本ギターを重ねたけど、そっちはナッシュヴィル・チューニングだった。1964年にサンアントニオでジョージ・ジョーンズのバンドの誰かから学んだんだ。ハイストリングのギターもアコースティックだった。2本ともフィリップスのカセットレコーダーに通した。マイクをギターに突っ込んで、そのままエクステンション・スピーカーで再生しただけさ。」
リチャーズによれば、歌詞は彼のカントリーハウスに滞在中、ある朝、庭師のジャック・ダイアーが窓の外を通る重たい足音で目を覚まされたことがきっかけで生まれたという。驚いたジャガーが何の音か尋ねると、リチャーズは「ジャックだよ。ジャンピン・ジャックさ」と答え、そこから歌詞が発展していった。
人文学者カミーユ・パーリアは、歌詞の一部がウィリアム・ブレイクの詩「The Mental Traveller」から着想を得ている可能性を指摘している。また、メインリフはストーンズの「(I Can’t Get No) Satisfaction」や、前年にバッファロー・スプリングフィールドが発表した「Mr. Soul」との類似性も指摘されている。
ジャガーは1995年の Rolling Stone 誌のインタビューで、この曲について「『Satanic Majesties』の酸(LSD)まみれの状態から生まれた。苦境にあって、そこから抜け出すことについての曲だ。あのサイケなものすべてから抜け出すためのメタファーなんだ」と語っている。また1968年のインタビューで、ブライアン・ジョーンズは、この曲を『Their Satanic Majesties Request』のサイケデリアを経て「ファンキーで、本質的なエッセンスに戻る」ものだと表現した。
ビル・ワイマンは自伝『Stone Alone』の中で、この曲の特徴的なメインギターリフは、自身がブライアン・ジョーンズとチャーリー・ワッツと共に作り上げたものだと述べており、最終的にはジャガー/リチャーズ名義でクレジットされたとしている。一方『Rolling with the Stones』では、ジャガーがボーカル、リチャーズがギターとベース、ジョーンズがギター、ワッツがドラム、ワイマン自身がオルガンを担当し、プロデューサーのジミー・ミラーがバックボーカルを加えたと記している。
ヴィクター・ボクリスによる評伝『Keith Richards: The Biography』によれば、「I was born in a crossfire hurricane」という一節はリチャーズが書いたもので、第二次世界大戦中の1943年、イングランドのダートフォードで、爆撃と空襲警報のさなかに生まれた自身の出生を指しているという。
この曲のために、1968年5月に2本のプロモーションビデオが制作された。ひとつはライブ演奏を収めたもので、もうひとつは、メイクを施したバンドが口パクで演奏する内容となっている。
歌詞の意味
この曲は過酷な状況で生まれ育ちながらも、最終的にはそれを跳ね返して生き抜いてきた自己像を誇張された語りとして描いている。語り手は誕生の瞬間から混乱や暴力に囲まれていた存在として設定され、家族環境や教育、社会からの扱いも厳しく、理不尽なものとして重ねられていく。ここで描かれる不幸や苦難は写実的というよりも神話的で、次々と災厄が降りかかることで、極端な逆境の象徴として機能している。
一方で、そのような体験の列挙にもかかわらず、語り手は自分が折れていないことを強調する。何度倒され、傷つけられても立ち上がり、最終的にはそれすら楽しんでいるかのような態度が示される。この楽観性は単なる強がりではなく、苦難を通過したからこそ得られた生命力や自負の表現として読める。
全体として、この曲は「ひどい目に遭ってきたが、それでも生き延びている」という感覚を、荒々しく単純な言葉で押し出している。サイケデリックな混迷から抜け出し、現実の厳しさと直接向き合いながらも前進する姿勢が、語り手のキャラクターに集約されており、逆境を肯定へと反転させる物語として成立している。


