【曲解説】George Michael – Outside

動画

曲情報

1998年4月、ジョージ・マイケルはビバリーヒルズの公衆トイレで「わいせつな行為をした」として、おとり捜査官に逮捕された。彼の逮捕は、ハッテン場の同性愛者を罠にはめることを目的としたおとり捜査の一環だった。多大な注目を集めたこの逮捕劇は、その絶世の美貌、10代の熱狂者としての長いキャリア、そしてゴージャスな女の子を腕に抱えた奇妙なパパラッチ写真があったにも関わらず、何年もの間このスターについて広まっていた同性愛の噂を裏付けるものだった。

逮捕後、マイケルは自身の隠れ同性愛について白状し、それは明らかに彼の心の重荷となっていたが、やがて1998年10月19日に「アウトサイド」という傑作をリリースすることで世に返答をした。この曲にはロドリゲス巡査との出会いに関する明白な言及は含まれていないが、MVには、警察官の格好をした彼が別の男性警察官に激しくキスしている様子が映っており、多くの人々がこのニュースを聞いてそう感じたように、彼も警察の貴重な時間を、ほぼ無害な性の誘惑に負けた同性愛者に使うよりも重大な犯罪捜査に使われるべきだと考えていたことは間違いないだろう。
 その後、ロドリゲス巡査は、MVが名誉毀損だとしてマイケルに対して1,000万ドルの訴訟を起こしたが、訴訟が長引いた後、訴訟は却下された。

歌詞の意味

この曲はスキャンダルによって室内=閉じられた世界に押し込められた主人公が、その圧力や羞恥を逆手に取り、むしろ外へ飛び出して解放を勝ち取ろうとする姿をユーモラスかつ挑発的に描いてる。内側の狭い空間は罪悪感や世間のまなざしの比喩になっていて、そこにじっと閉じ込められている状態に主人公自身が嫌気をさし、開放された場所で本来の自分を取り戻したいという強い欲求が高まっていく。

外へ行こうという呼びかけは単なる誘惑ではなく、世間の価値観や偏見から距離を置く宣言でもある。祝福されない関係や周囲の批判を気にして身動きが取れなくなった自分を、皮肉と笑いに包みながら解き放とうとしている。そこには罪を問われた側でありながら、それを逆転させて欲望も身体性も肯定し、自然なものとして堂々と受け入れる姿勢がある。

告白のような語りには開き直りと誠実さが混ざり、もう隠すものはないという潔さが溢れている。肉体も衝動も自然現象の一部に還元するかのように描かれ、羞恥や罪悪感よりも“人間らしさ”こそ大事だというメッセージが底に通っている。

全体として、スキャンダルを背負った人間がその経験を恥ではなく力に変え、外の世界で自由を取り戻すための挑発的で解放的な宣言になっている。

コメント

error: Content is protected !!