K-POPで学ぶ韓国語#1 ルセラフィム「チェイス・ライトニング」編

うちのわんちゃんがすごく恋しい

우리 강아지가 너무 보고 싶어
うり かんあじが のむ ぼご しぷお
uli gang-ajiga neomu bogo sip-eo
うちのわんちゃんがすごく恋しい

우리 (うり)は「私の」という意味でも使える

우리
読み方:uli、うり
意味:私たち、私たちの / 私の、うちの
[備考]
韓国語において「우리 (うり)」の用法はかなり広い。複数形が必要ない場面でも「우리 (うり)」を使用する場合が多い。事実上、「나의 (私の)」の代わりに使われる表現である。このため、過去には韓国人が英語を使用する際に、韓国語のように一人称複数形である「we」を乱用するミスがよくあった。

韓国語の「うり」は主語としてwe(私たちは)と言う意味で使うこともあれば、所有格としてour(私たちの)という意味で使うこともある。また、目的語として「私たちを」や「私たちに」という意味でも使われる。目的語になる場合、日本語の「を」にあたる助詞「를 (うる/るる)」や日本語の「に」にあたる助詞「에게 (えげ)」が付くことで文中での役割が明確になる。

しかし、単数を意図して発言する場合、所有格としてmy(私の)という意味にはなっても主語としてI(私は)という意味にはならない。

例えば「우리 엄마(私の母)」や「우리 집(私の家)」といった表現がある。これは、韓国文化において、自分と自分に関わるものを強調しすぎないで、むしろ「私たち」の一員として自分を表現する傾向があるためである。

강아지 (かんあじ)は成犬にも使える

강아지
読み方:gang-aji、かんあじ
意味:犬、子犬、わんちゃん
[備考]
この言葉は「송아지 (読み:song-a-ji / そんあじ、意味:子牛)」や「망아지 (読み:mang-a-ji / まんあじ、意味:子馬)」といった言葉の法則にならって作られた用語である。

「개 (読み:[gae / け / げ]、意味:犬)」+「小さい」という意味の接頭語「앚 (aj / あじ)」+名詞化接尾辞「이 (い)」が合わさって「강아지 (かんあじ)」となった。

昔は成犬および老犬を「개 (け / げ)」、子犬を「강아지 (かんあじ)」と明確に区別して呼ぶことが多かったが、21世紀に入ってからは、成犬や老犬を「강아지 (かんあじ)」と呼ぶ人が増えてきている。特にマルチーズ、ビション・フリーゼ、ポメラニアン、プードルといった小型犬に対してこう呼ぶことが多い。「강쥐 (gangjwi / かんじゅぃ)」と短縮されたり、「갱얼쥐 (gaeng-eoljwi / げんおるじゅぃ)」と変形させて呼ぶ場合もある。

가 (が)


読み方:ga、が
[意味と使い方]
主語を表す助詞としての(が)は、ほとんど日本語の「が」と同じである。
日本語にない条件として、この言葉はパッチム(終声子音)がない名詞の後に付く。パッチムがある場合は「이(い)」が使われる。
例:「학생이 (はくせにぃ)」= 学生が。

너무 (のむ)は日本語の全然に似ている

너무
読み方:neomu、のむ
意味:あまりにも
[備考]
元々は、否定的な表現とともに使われる表現だったが、現在では肯定的な文脈でも使われるようになった表現で、その変化は日本語の全然に似ている。

日本語の「全然」
  • 元々の用法: 「全然」は、もともと否定的な表現とともに使われる言葉だった。「全然良くない」「全然面白くない」といった形で、否定的な意味を強調するために使われていた。
  • 現代の用法: 現代では、「全然大丈夫」「全然いいよ」のように、肯定的な文脈でも「全然」が使われるようになっている。これにより「全然」という言葉が、必ずしも否定を示すものではなくなった。
韓国語の「너무 (のむ)」
  • 元々の用法: 「너무(のむ)」は、否定的な文脈で「過剰に」「過度に」といった意味で使われていた。
  • 現代の用法: 現代では「너무 좋다(とても良い)」や「너무 예쁘다(とても可愛い)」のように、肯定的な意味を強調する表現としても広く使われている。

보고 싶어 (ぼご しぷお)

보고 싶어
読み方:bogo sip-eo、ぼご しぷお
意味:会いたい、見たい
[備考]

(ぼ): 「見る」を意味する動詞「보다 (ぼだ)」の語幹。
-고 (ご): 接続語尾。動詞の語幹に付き、「~して」のような意味を持つ。ここでは「보고(見て)」という形になるが、他の助詞と組み合わせて使われることが多い。
싶어(しぷお): 「싶다(sipda、~したい)」の語幹「싶」と、語尾「-어」が合わさった形。「~したくて」といった意味を持つ。

全体として「보고 싶어」は「会いたい」や「見たい」と訳されるが、直訳すると「会いたくて」「見たくて」といった意味になる。この表現は、他者や何かに対して「~したい」という願望や希望を表すときに使われる。