動画
歌詞&和訳
lucky**waster
im o n a r o lL
上手く行ってる
im o n a r o LL this time
今度ばかりは上手く行ってる
i feel my luck could change.
運勢が変わるかもしれない
kil me sarah
殺してくれ、サラ
kil me again with love
もう一度、愛を込めて
its gonna be a glorious day.
きっと輝かしい日になるだろう
pull me out of the aircrash pull me out of the lake
飛行機事故から救い出してくれ、湖から引き上げてくれ
cause im your superhero we are standing on the edge
俺はおまえのスーパーヒーローだから、俺たちは崖っぷちに立っているんだ
the head of state
国家元首が
has called for me
by name
名指しで俺を呼んだ
but I dont have time for him.
だが奴にかまってる暇なんてない
its gonnabe
a
glori us day!
きっと輝かしい日になる
i
feel my
luck
could
change.
運勢が変わるかもしれない
pull
me
out
of
the
aircrash
飛行機事故から救い出してくれ
pull me
out of the lake
湖から引き上げてくれ
cause im your superhero
だって俺はおまえのスーパーヒーローだから
we are standing on the edge
俺たちは崖っぷちに立っているんだ
we are standing on the edge 俺たちは崖っぷちに立っているんだ
和訳リンク
曲情報
「ラッキー」はレディオヘッドの曲。1995年にボスニア戦争孤児を救済するためのチャリティーアルバム『The Help Album』に収録するために1日でレコーディングされた。他にも多くのイギリスのメジャー・アーティストがアルバムに参加しているにもかかわらず、この曲はすぐに最も優れた曲として批評家に認められた。
1997年に、多くの議論の末、バンドはこの曲を『OK Computer』に収録することを選んだ。
「この曲は自分たちがこれまでに書いた曲の中で最高のものの一つであり、アルバムの中のこの位置にぴったりだから」
バンドはサード・アルバムのためにこの曲をリミックスしようとしたが、改善できなかったため、『Help』と『OK Computer』に収録されたバージョンは同じである。
インタビュー情報
トム:今夜のパフォーマンスには本当に満足している。「ラッキー」という新曲があるんだけど、これは僕らが今まで演った中で最高だと思う。部屋には巨大な音が鳴り響き、言葉がただその中で跳ね返る。曲の間中ほとんどずっと震えが止まらず、ただバカみたいにニヤニヤしていたよ。
Qマガジン、1995年10月号
「ご存知のとおり、僕にとって重要なのは、歌詞が瀕死で、惨めで、病的で、ネガティブなレコードをもう一度作ることに逆戻りしてしまう可能性があるということなんだ」と彼は説明する。「でもそんなことはしたくない。僕はただ、聞いたり見たりしたポジティブなことを意識的に書き留めているだけなんだ。でも、まだそれを音楽に落とし込むことができないでいる。無理にはやりたくないんだ。それをやってしまえば僕がやっていることは、僕らがモープ・ロックだと言われているような問題に対処しているだけになってしまうから。僕が思うに、『ザ・ベンズ』はそういう作品だ。なぜなら、僕らが『ザ・ベンズ』を作ったとき、それは本当に、本当に、僕らがいた場所だったからだ。R.E.M.の『Automatic For The People』についても同じことが言える。本当に惨めなレコードだよ」
NME1995年12月9日号
僕にはもう、叫んだり、何年も電話で喧嘩したり、唾を吐いたり、悪態をついたりするような感覚はなかったと思う。僕には解放感があって、それなんだ、それなんだよ、僕が欲しかったものは。僕にとって「ラッキー」はそんな感じだった。「ラッキー」は完全に解放の曲だ。作曲もレコーディングも、それはただ起こったことで、時間も意識的な努力もなかった。
NME1995年12月9日号
もしかしたら、飛行機や車といった機械はすべて集団の意思によって動いているのかもしれない。それ以外では空を飛んだり、動いたりできるはずがない。
Vox、1997年7月、トム・ヨークによる『OKコンピューター』の曲ごとのガイドより
モープ・ロック(mope rock)
陰鬱なロックのこと。最初の “職業的鬱 “バンドはドアーズだった。「モープ・ロック」は特に75年以降にジョイ・ディヴィジョンのような鬱屈としたニューウェイヴァーたちや、大規模な「ゴス・ロック」シーンの出現とともに流行した。