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歌詞&和訳
faith you’re driving me away
信頼、おまえは俺を追い払おうとしている
you do it every day
それも毎日だ
you don’t mean it but it hurts like HELL
おまえにそんなつもりはなくても、俺は地獄の苦しみを味わってるよ
my brain says im receiving pain
俺の脳が「痛みを受け取りました」って言っている
a lack of oxygen from my life sup[poRT
生命維持のための酸素が不足している
my IrOn lUng.
俺の生命維持装置、鉄の肺
weRe too young to fall asleep
俺たちは眠りに落ちるには若すぎるし
too cynical to speak
話すにはひねくれすぎてる
we are losing it can’t you tell?
俺たちは正気を失いつつある、わからない?
we scratch our eternal itch
俺たちは永遠の痒みを掻く
our twentieth century bitch and we are gratEful for our
俺たちの20世紀のビッチ、そして感謝しているんだ
IrOn lUng.
鉄の肺に
the headshrinkers
首狩り族共
they want my everything
やつらは俺のすべてを狙っている
my uncle Bill
俺の叔父のビル
my Belisha beacon
俺のベリシャ・ビーコン
the headshrinkers
首狩り族共
they want my everything
やつらは俺のすべてを狙っている
my uncle Bill
俺の叔父のビル
my Belisha beacon
俺のベリシャ・ビーコン
suck suck your teenage thumb
しゃぶれよ、おまえの10代の親指をしゃぶれよ
toilet trained anddumb
トイレ訓練を受けている間抜け
[whe n the powrr runs out
パワーを使い切ったら
we’ll just hum]
そのときはただ鼻歌を歌うだけだ
this this is our new s=ong
これ、これが俺たちの新曲だ
just like the last one
前回の曲と代わり映えないね
a total w.a.s.t.e. of time.
全くの時間の無駄だよ
my
IrOn lUng.
俺の鉄の肺
the headshrinkers
首狩り族共
they want my everything
やつらは俺のすべてを狙っている
my uncle Bill
俺の叔父のビル
my Belisha beacon
俺のベリシャ・ビーコン
the headshrinkers
首狩り族共
they want my everything
やつらは俺のすべてを狙っている
my uncle Bill
俺の叔父のビル
my Belisha beacon
俺のベリシャ・ビーコン
and if you’re frightened
そしてもし怖がる状況が訪れるなら
you can be frightened
怖がってもいいんだ
you can be it’s okay
いいんだ、大丈夫
and if you’re frightened
そしてもし怖がる状況が訪れるなら
you can be frightened
怖がってもいいんだ
you can be it’s okay
いいんだ、大丈夫
the headshrinkers
首狩り族共
they want my everything
やつらは俺のすべてを狙っている
my uncle Bill
俺の叔父のビル
my Belisha beacon
俺のベリシャ・ビーコン
the headshrinkers
首狩り族共
they want my everything
やつらは俺のすべてを狙っている
my uncle Bill
俺の叔父のビル
my Belisha beacon
俺のベリシャ・ビーコン
和訳リンク
曲情報
『マイ・アイアン・ラング』はイギリスのロックバンド、レディオヘッドの曲である。
この曲は1994年2月21日にライブで初演され、1994年9月26日にリリースされたEP『マイ・アイアン・ラング』に収録された。また、1995年3月13日にリリースされた2枚目のスタジオアルバム『ザ・ベンズ』にも収録された。
EP『マイ・アイアン・ラング』のブックレットには漢字の「島」という字と「覇」という字が見える。傘マークもあり、日本の天気予報の画像であることがわかる。
インタビュー情報
フィル:この曲はアストリアでのライブの録音を使っているから所々少し不安定だけど、素晴らしい雰囲気があるよ。
エド:1994年5月のアストリアでのライブ録音だ。ある友人はこの曲を2つの曲がくっついているように聞こえるから好きじゃないって言ったよ。ああ、そうだね。
ジョニー:これはロンドンのアストリア公演でライブ録音されたものだ。ボーカルだけ差し替えたんだ。
コリン:事実、これはアストリアのライブトラックで、少し挑発的なやり方で改善しようとしたんだ。
トム:めちゃくちゃにするしかなかったんだ。そうしなきゃいけなかった。
Answerphone、1995年3月下旬から4月頃
11月、レーベルは商業EPに収録された“My Iron Lung”をプレビューした。この4トラックディスクは大学および商業のモダンロックラジオに提供され、LP以外の新しいトラックも3曲含まれています。
「あれはファンを喜ばせることだけを意図していたんだ」とキャピトル・レコードのA&R担当副社長、ペリー・ワッツ・ラッセルは言う。「あれはちゃんとした先行シングルではなかったよ。ラジオでのエアプレイの数字さえ追い求めていなかったんだ」
ビルボード、1995年2月25日
Q:“My Iron Lung”は2つの曲のアイデアを融合させたもの?それとも最初は全体として書かれたもの?
ジョニー:これは誰にも話したことがないんだけど、“My Iron Lung”はロンドンのアストリアでライブを演ったときに、たまたまそれを24トラックのテープに録音しただけのものなんだ。スタジオであまり良いバージョンができていなかったから、今回のコンサートでは音がずっと良くなったなって思って、それをそのまま使ったんだ。
Q:決定版はライブ音源?
ジョニー:そう、でも観客の声を排除したからそうは思えないんだけどね。
Q:“My Iron Lung”の2つのパートは常に一緒だった?それとも2つの異なる曲のアイデアとしてまとめられたの?
ジョニー:俺たちはそれをどこか別の場所に持って行きたかった。少しヒステリックなものにしたかったんだけど、時間が限られていたから、緊張感を高めたり解き放ったり、緊張感というアイデアで遊んでいただけだった。
Q:最初の部分だけを曲として使っても良かったと思うね。
ジョニー:そうすればラジオで確実に放送されるだろうね。多くのラジオ局が最初の部分が好きだと言ったけど、この曲はラジオで流すにはうるさすぎた。
『Glamour Guide for Trash』第5号、1995年、トロントのRPMクラブでのサウンドチェック前のインタビュー
エアプレイ (放送用語) … エアプレイはラジオ局で曲がどれくらい頻繁に再生されるかを示す。
「“My Iron Lung”は棺にもう一つ釘を打つはずだった……棺に最後の釘、実際には、名前も残らないであろう以前の曲の棺に、最後の釘が打たれたのだ。」トムは言葉を続ける前に張り詰めた小さな笑みを浮かべた。「でも、全然そんなことはなかった…聴いてみたらとてもエキサイティングだと思ったからリリースしたんだ。基本的にはライブ音源から観客の声を排除したものだった。リリースするつもりはなかったんだ。ライブ音源で観客が応援の歓声をあげるやつ…そういうのは本当にくだらないことだろう。」
音楽業界を理解しようとする私の不毛な探求の中で、“My Iron Lung”がアメリカの大学放送局のみにシングルとしてリリースされたことに一体何の意味があるのかを問わなければならない。それは『The Bends』がリリースされる数ヶ月前に滑り落ちて消滅した。
「滑るという言葉がぴったりだね」とトムは遠くを見つめながら笑った。
なぜ曲を死なせることが許されたのかと尋ねると、明確な答えは得られなかった。バンドはアルバムを仕上げなければならず、シングルにかまっていられなかったので、それは優先事項ってわけではないけど … とかそんな感じの答えだった。
トムはつぶやく、「面白いことに、俺たちも明確な答えは得られなかった。」彼は自分の疑問を上層部に持ち込んだことさえあったが、回答は得られず、名声だけが得られた。
ジョニーは嫌いなレッスンを繰り返す子供のように注意深く話す。「この曲は大学向けにリリースされ、突然他の局でも放映されるようになった。実際にリリースする予定はなかったんだけどね。でもまあ、あまり気負わずに、どうなるか見てみようじゃないか…って感じだった…。」ジョニーはすっかり困惑したような表情を浮かべる。「別に流す必要はないんだって感じだった。問題ないって。どういうことだ?おかしいよ。大学以外の人々がこの曲を外で聞いても害はないでしょ。みんな聞けるんだ。それを流したって恥をかくことはないよ」
「いいね。俺が音を外すこともない」とトムは笑って言った。「大丈夫だよ、誰が気にするって言うんだ」。トムとジョニーは明らかに気にしている。
b-sideマガジン、1995年7月/8月
解釈
“iron lung”は”creep”のこと?
この曲の”iron lung”「鉄の肺」は”creep“のことを言っているのではという説がある。
This, this is our new song
これ、これが俺たちの新曲だ
Just like the last one
前回の曲と代わり映えないね
A total waste of time, my iron lung
全くの時間の無駄だよ、俺の鉄の肺
つまり”creep“という鉄の肺を手に入れたことでバンドは生かされているが、それゆえに苦痛、かゆみ、息苦しさを感じているということ。この時期のRadioheadはまだ”creep“の一発屋で終わってもおかしくないバンドで、”creep“のような新曲を期待するファンが大勢集まり、ライブでも”creep“ばかりがリクエストされるという状態にあった。だが、それだけがRadioheadではない。バンドの一部だけが強化されて、同じことを繰り返さなきゃいけないことにうんざりして「全く時間の無駄だね」とこの状態を嘆いている曲ではないかという説である。
Pop Is Deadとの関連性
しかし、上記のインタビューの中でトムはこう言っている。
“My Iron Lung”は棺にもう一つ釘を打つはずだった……棺に最後の釘、実際には、名前も残らないであろう以前の曲の棺に、最後の釘が打たれたのだ。
b-sideマガジン、1995年7月/8月
でも、全然そんなことはなかった…聴いてみたらとてもエキサイティングだと思ったのでリリースしたんだ。
名前も残らないであろう以前の曲とはアルバムにも収録されていないRadioheadの黒歴史曲“Pop Is Dead”のことだろう。ちなみに存在を抹消されたMVはトムが棺に入って運ばれるシーンから始まる。
“Pop Is Dead”の時期にRadioheadはライブやインタビューで他のアーティストを蔑む言動を繰り返していたが、先程紹介した”This, this is our new song ~”からのフレーズも、自己防衛的な自嘲に感じる部分である。
“My uncle Bill, my Belisha beacon”って何?
ベリシャ・ビーコン(英: Belisha beacon)は、イギリスで使われている視認性の高い交通標識。
この曲の歌詞で最大の謎は”My uncle Bill, my Belisha beacon”の部分だが、uncle Billはビル・ヒックスのことだという説がある。ビル・ヒックスは1994年2月26日に32歳でこの世を去った米国のスタンダップ・コメディアンで、『the bends』は彼に捧げられたアルバムと言われている。しかしこの曲が初演されたのは1994年2月21日でビルが亡くなる5日前のことであった。歌詞が後から差し替えられたか、あるいは生前でもファンだったために言及したのか詳しいことはわからない。
また別の意見で「”My uncle Bill”はドル紙幣のことで”Belisha beacon”は誘導灯のことであり、すなわち、この歌詞はレコード会社の重役たちが資本のためにアーティストを利用し、アーティストのインスピレーションを損なう一方で、彼らからすべてのドル紙幣を搾り取り、使い終わったら外に干して乾かすことの比喩」という意見があった。どちらかというとこちらの解釈の方がしっくりきた。ということでこの解釈に合わせて”The headshrinkers“も資本主義社会における強欲な「首狩り族」という訳を採用した。